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2020.04.15 淡々東京ぐらし#14 ファンクを歌うジーザスあるいはサバ水煮缶のアクアパッツァ風

入社してまる2週間が過ぎた。リモートワークでずっと家にいるので、ただでさえ運動不足なのが余計に気になる。昨日は10分間のエアロビクスをやったが、今日は10分間のエアロビクスに加えて5分間の筋トレ、それから肩周りのストレッチをやった。

5分間の筋トレの負荷が思った以上にすごくて、脚がガクガクになった。「地獄の5分」は伊達じゃなかった。

普段おろそかにしてしまう肩回りのストレッチも、3分間かけてじっくりやると、肩が軽くなる。

音楽があると、つい一瞬で済ませてしまいがちなストレッチもじっくりやれて良い。普通に大学のキャンパスに通っていた時期よりもずっと運動ができている。

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昔、故郷で観劇した劇団四季ミュージカル『ジーザス・クライスト=スーパースター〈エルサレム・バージョン〉』をなぜか思い出した。

キリスト教の祖、ジーザスが磔刑にあって死ぬまでの7日間を描いた“ロック・ミュージカル”だ。浅利慶太による日本語版演出には〈ジャポネスク・バージョン〉と〈エルサレム・バージョン〉があり、私が観たのは後者のほうだ。

客席に向かって低くなるよう傾斜がつき、キャストが走り回ると砂ぼこりが舞い上がる舞台。うごめき、脈動するような群衆の振付も印象的だった。

プロモーションビデオだけでは飽き足らず、Spotifyで英語版キャストのサウンドトラックを探して聴く。すると、気になる曲に行き当たった。劇団四季による日本語版では「狂信者シモン/哀れなエルサレム」というタイトルになっている。(先ほどのプロモーションビデオでは00:12~“みなあなたを愛します……”から始まるナンバーである。

なぜ気になったかというと、劇団四季プロモーションビデオの同じ曲とはアレンジが少し異なっていたからだ。まず、劇団四季版に比べて、BPMが遅めだ。それだけでなく、四拍子の表拍が強調されるように刻まれている。それに、ベースラインとホーンセクションとパーカッション(特にタンブリン)が際立って聴きやすい編成になっている気がする。

劇団四季のJCS(長いので略すことにする)を見たときは、今ほどは音楽に詳しくなかったので何とも思わずに劇中曲を聴いていた。しかし、きょう、このアレンジを聴いて初めて、「あ、これファンクなのか」と気づいた。

あわてて劇団四季のプロモーションビデオに戻って聴きなおすと、ギターのカッティングやベースラインがやっぱりファンクだった

日本語版で「何が起こるのか教え給え」というタイトルのこのナンバーも、ファンクらしいギターのカッティングやエレクトリックピアノの旋律、ドラムパターンがよく聞こえ、「これもファンクだったのか」と気づいた。(このアルバムは全体的に、編曲のせいなのか、ミックス・マスタリングがいいのか、ファンクテイストが前面に押し出されていた)

……“ロックミュージカル”なのに?

確かにロックテイストのナンバーも多いが、もう一つ例を挙げさせてほしい。もっと強力にファンクの文脈が現れているナンバーがある。

JCSのクライマックス、磔刑が決まったジーザスは、大きな十字架を背負ってゴルゴタの丘を歩く。そのようすを、死んだはずのイスカリオテのユダが眺めながら、皮肉を込めて歌うナンバー「スーパースター」。ミュージカルのタイトルを象徴する、重要な曲といえる。

曲調だけでもソウルやファンクのテイストがわかるが、もっと重要なのは、このナンバーが劇中に出てくるときの、演出である。

「スーパースター」は、ユダがメインのシンガーだが、彼は、どこからか現れた三人のコーラスガールを伴って歌うのだ。

メインシンガー+コーラスガールという編成も、コーラスガールたちが統一された振付をつけて歌うという様式も、実際にソウルやファンクの──例えばジェームズブラウンとかの──ライブ映像で見たそれではないか! 今までまったく気づいていなかった。

JCSのタイトルを象徴する重要なナンバーにまで、ファンクやソウルの文脈が流れ込んでいる。つまり、“ロックミュージカル”と称されるJCSは、単にロック音楽を多用したミュージカルというわけではなく、わざわざソウルやファンクの様式を用いて表現したかった何かがあるのだ

ソウルやファンクは、ブラックミュージックを代表するジャンルといってたぶん間違いない。一方、ロックは、エルヴィス・プレスリーやビーチボーイズなどのアイコンによって、白人音楽のイメージが一般に共有されていると思う(とはいうものの、ロックのルーツはブラックミュージックでもあるので、ややこしい)。

アメリカ社会の重要な構成要素であるキリスト教の祖・ジーザスを題材にとり、「ロックミュージカル」とうたわれながらも、実際にはソウル、ファンクといったブラックミュージック(その担い手は、アメリカでは現在なおも往々にして差別や抑圧を受ける側となるアフリカ系アメリカ人≒ブラックたちだ)をふんだんに取り入れているということの意味は、なんだろうか? 詳しい人教えて。

追記:ブラックミュージック単体とキリスト教の関係なら死ぬほど作品が出てくるはずで、例えば、キリスト教の修道女たちがゴスペルとダンスを披露する『天使にラブソングを』なんかもあったし、『ブルース・ブラザーズ』ではまさにジェームズ・ブラウンが教会の牧師役を務めていたりもした。JCSはこれらのミュージカルや映画よりももっと複雑な文脈の中にある気がする。

ということを今日、なんとなく考えていた。

あとそうそう、英語版のJCSを聴いた後に、劇団四季版を改めて聴くと、「岩谷時子の訳詞すげえ~~~~~」ってなる。英語詞の意味を丁寧に反映しながらも、日本語の歌として自然に、美しく聞こえて意味も通るように工夫されていて、さすがは岩谷時子ぞ、と思う。

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週の後半に食べるおかずを作る。サバの水煮缶を買っておいたので、「サバの水煮缶のアクアパッツァ風」を作ることにした。

アクアパッツァは、イタリア・ナポリの料理で、ブイヨンを使わず、魚介類を白ワイン・トマト・オリーブオイルで煮込む料理だという。acqua pazzaの意味を調べると、直訳でcrazy water……なんというか、「ヤバい水」という感じだ。

そもそも、そんな呼ばれ方をしていたのは、魚介のトマト煮込み料理ではなく、その昔トスカーナ地方の小作人たちが作っていた粗悪な葡萄酒だという。地主に上等の葡萄酒を納めたあと、自分たちの手許に残ったぶどうの残りカスを使って、そんな酒を造っていたらしい。悪酔いまっしぐらじゃないか。(ジーザスのミュージカルについて考えていたその日に、よりによってキリスト教の重要アイテム・葡萄酒の話が出てくるとは、なんと奇遇な!

さて、サバ水煮缶のアクアパッツァ風である。味つけにブイヨンやコンソメは使わないのが、アクアパッツァの特徴だ。代わりに、水煮缶の汁をそのままぶち込めばいいらしい。確かにこれはこれで風味が豊かになっていい感じである。汁気も一緒にぶち込める缶詰万歳。

いつものトマト缶半量にブロッコリー、ミニトマトを加えてさっと煮込み、出来上がり。塩と黒コショウを振ったが、なんか足りないなと思って、オレガノを奮発してやった。普通の食材しか買えない分、香草の力でなんとなーくワンランク上っぽい料理のようなものができるのはありがたい。

給料日が近くなり、家計簿アプリが気になるところだが、巣ごもりが続いた今月分の食費は、予算を大幅に下回ってくれそうだ。となると、ハーゲンダッツの一つでも買いたいような気がしてくるな……

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