わたしは答えない
わたしは答えない。
わたしの名前よりも先に学歴を尋ねる質問に。
わたしは答えない。
恋人がいなくてさびしくないのかという問いかけに。
わたしは答えない。
詩なんて役に立たないという台詞に。
その代わり、
ぱん、と破裂するような声で、
目の前のスネアドラムを触れずに鳴らすことだってできる。
だって、わたしから声が出るんじゃなくて
声のなかにわたしがいるから。
どこへ行っても怖くない。どこへ行っても怖くはないんだ。
雨の街に出かけよう。
お気に入りの傘をさして、水たまりを飛びこえそこねて。
歩道橋を駆け上がろう。
点滅する信号機に彩られた、大きな交差点いっぱいにはり巡らされた歩道橋を。
交差点を取り囲む駅の工事現場を見上げて、
首をもたげるクレーン車を怪獣だと想像しよう。
傘を回して歌い出しても職務質問されない社会を、半径1mから始めよう。
選挙の投票に行こう。
日曜日の朝に早起きして、小学校の体育館に一番乗りして。
投票用紙でしか出会えないあの特別な紙の手触りとの再会を喜ぼう。
嘘を嘘で守るきれいで歪んだことばを慎重により分けて、かろうじて見つけ出した人の名前を希望として書き記そう。
自転車に乗ってどこまでも行こう。
川沿いの道をぐんぐん漕ぐうちに、桜は葉桜へと姿を変える。覚えているかぎりの歌のフレーズと口説き文句とドラマの台詞と悪口と皮肉を道に撒いていこう。すれ違う人が怪訝な顔で見てきても。
デモを始めよう。
国会前でもなく、商店街でもなく、台所で乾燥ひじきを水でもどすあいだの、たった一人のデモを。
怖いと思うことをひとつひとつ口に出して言おう。
大好きな近所の猫と出会えなくなってしまうことが、地震が、新しい家族を授かる憧れを奪われてしまうことが、爆弾が、犯罪の準備をしているとある日突然名指されることが、怖いと思うことを怖いって言えなくなることが怖いって、
言おうよ。
わたしは答えない。
怖がるなという命令に。
わたしは答えない。
声をあげるなという命令に。
わたしは答えない。
決して答えないんだ。
(2017年6月)
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