見出し画像

良くなる未来

『この苦しさの正体は、一体何なのだろう』

私がそう感じたのは10代の時でした。

血が出るほど強く歯を磨いたり、
自室のものの位置を1ミリ単位で調整したり、
忘れものはしていないだろうかと、頭の中で何度も確認したり。

これらのことは、やっても無駄だと分かっているのに、何度も何度も繰り返してしまうのです。

『こんな奇妙なことは、自分にしか起きていないのではないか』と思い、それはそれは深く悩みました。

そして、
『こんな奇妙なことは誰にも言えない、誰にも相談できない』
そんなふうに感じ、孤独の沼にはまっていきました。
 

そんな訳の分からない世界で生きていた私は苦しみの絶頂を迎え、遺書を書くようになりました。

その時は、悲しさからくる〝死んでしまいたい〟という気持ちではなく、
〝とにかく助けてほしい!〟と、叫んでいるようでした。

私の混乱は激しく、
遺書には『何かに取り憑かれている』というようなことを書きました。

スマホもパソコンもない時代。
自分の身に起きている奇妙な現象を、検索することができません。

そんな私は、孤独と絶望に支配されていきました。

何もかもが限界を迎え、心療内科に通うことになりました。
その時、初めて『強迫性障害』や『社会不安障害』という言葉を耳にしました。

強迫性障害の本を見た時、私は絶望の終わりを感じました。
それと同時に〝希望の始まり〟も感じたのです。

そして、40歳を目前にした私は、
人生に『どん底』が存在する意味を探し始めました。

どん底に行こうと思って行く人はいません。
どん底なんて、人生にない方がいいに決まっています。

それなのに、『どん底』はなぜ人生に存在するのだろう。

私が辿り着いた答えは、

『良くなる未来を感じるため』

1番深くて暗い奥底にいるのだから、これ以上奥に行くことはない。
良くなる未来しかないのです。

良くなる未来しかない人生は、
必ず良くなっていきます。

(おわり)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました

いいなと思ったら応援しよう!