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短編小説「音のない楽園」

雨音だけではなかった。雨に叩かれる樹々のうめき、川面に浮かぶ無数の波紋、それに地面に突き刺さるスコップの音などが、重なり合って不快な音となり、胸の奥を掻きむしっていた。地面には穴が掘ってあって、裸の女が仰向けに転がっていた。私と柏田は、その上に一生懸命、土をかけていた。女の首には青い痣がついていて、あと少しで土の下に埋もれそうだった。

私には、日常の生活音から音の高さを認識できて、さらにそこから人の感情を読み取る能力がある。その力は、私がまだこの世に影も形もなかった頃にすでに備わっていた。私は母の胎内で彼女の心臓の音を聴いた。そして、その音から母が私を愛していないことを知った。

母は永田町の大物政治家と不倫関係にあった。私がその男との情事の果てに生まれたことは想像に難くない。母は、人生に対して恐ろしく不真面目で、金と男と快楽のためだけに生きた。そんな母でも死の床についた時だけはとても優しかった。首を締められながらするのってすごく気持ちいいのよ、母は笑いながらそう言って、ボロボロになった紙切れを私に渡した。そこには拙い字で電話番号が殴り書きされていた。

私はこの呪わしい力のために音楽を憎んだ。だから、その力を音楽のために使おうとは思わなかった。私は母にもらった電話番号に連絡した。こうして、私は柏田代議士の秘書となり、はからずも、政界で生きていくことになった。

柏田が女好きなのは永田町では有名な話だった。彼に抱かれた女の首には必ず青い痣がついていた。私も同じような痣を首につけられたことがある。私は、彼に抱かれながら、その心臓の音を何度も聴き、そこに何の感情もないのを読み取った。しかし、あの女を殺した時だけは違った。柏田は、情事の最中に誤って愛人を殺してしまい、その後で私を抱いた。そのとき彼の心臓は明らかに早鐘を打っていて、この人はきっと人を殺してしまったんだろうなと思った。

雨はすっかり止んで、樹海には深く濃い霧が立ち込めていた。女の死体は土の奥深くに埋められて完全に見えなくなった。柏田は、スコップを放り投げて、その場にへたり込んでいた。彼が何を考え、何をしようとしているかは、わざわざ心臓の音を聴かなくても分かった。このあと、私は口封じのために殺されてしまうのだろう。それでもいいと思った。柏田に近づいたのは野心のためなんかじゃない。母の愛した男がどんな人だったのかを、ただ知りたかっただけだ。でも、今は知らなければ良かったと後悔している。柏田は誰にも愛を与えないで生きてきた。そして、私は誰からも愛されないで生きてきた。神様はきっと私に間違った力をお与えになったのだ。今度生まれ変わるときは音のない海の底で静かに暮らしたいと思った。

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