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ときどき訪れる、すべてを無にしたくなる衝動
この無にしたくなる衝動というのは、私の所感ではありますが、だいたい自分のメンタルが荒んでいるときにやってきます。
他にもいくつかの条件が重なると起きやすいのですが、以下のようなものが重なってくると発生確率が上がってくる気がします。
①自分に余裕がない
②相談する相手がいない
③肉体的に疲労がたまっている
④気温差が激しい
⑤考えても答えが出づらい悩みがたまってきたとき
⑥自分でどうにもできないイライラが蓄積したとき
そもそも①~⑥が重なってくればメンタル的に落ち込むのは当たり前で、それにともなって例の衝動が顔を出してくるというわけです。
この衝動ですが、人間関係リセット症候群に近いかもしれません。
SNSでの関りが煩わしくなったり、誰かと交流をしたくなくなったり、とにかく「フラット」な状態にしたくなってしまうんです。
過去には、この衝動を抑えきれずにSNSのアカウントを前触れなく消したこともあります。
さすがにLINEなどの重要なツールは消したことはないのですが、ツイッタ―なんかは何回も犠牲になっていると思います。
直近で言うと、300人くらいフォロワーがいたアカウントを突如消したために、LINEでも繋がっている友達から心配の連絡がきました。
この時もたしか仕事でストレスがたまっていた、かつ、このフォロワーの中に会社の上司がおり、プライベートの時間まで上司に見られているような感覚(実際に上司が私のアカウントをそこまで見ているかどうかは知りません)になり、耐え切れずに削除にいたったわけです。
その数日後に上司からも「アカウント消したの?」と連絡があり、適当に理由を伝えておきました。
こんなような感じで、頻繁ではないものの「無にしたくなる衝動」とやらに悩まされています。
今回もじわじわ①~⑥のいずれか、もしくは全てがたまっていたんでしょうが、最後のダメ押しはInstagramで載せられていた友達のストーリーです。
ライブに行っていたようで、その様子が載せられていました。
地元の友達二人できていたようで、それぞれのストーリーを更新していました。
普段であれば、「いいなぁ」とか「私も久しぶりに会いたいな」といったくらいの感想しか浮かばないはずなのに、映っていたライブ会場が、私の住んでいる場所からそこまで遠くない距離なこともあったのか、無性に「嫌だ」という拒否反応みたいなものが出てしまったのです。
その友達に対しての拒否反応ではなく、今後このInstagramのアカウントがある限り、こういったストーリーを目にしなくてはいけないかもしれないということに対しての「嫌だ」という気持ちでした。
よく、「SNSは人と比べちゃいけない」なんて言葉を聞きますが、まさしくそれで、「人と比べないために情報をシャットダウンしたい」となってしまうのです。
普通に考えればアカウントを消さずに、Instagramをしばらく見なければいい話なのは分かっています。
なんでもない心の状態なら、それで済むでしょう。
ただ、この「無にしたくなる衝動」期については、冷静な判断ができないですし、感情に任せてワーッと突っ走ってしまうところがあるため、アカウント削除という暴挙に出てしまうわけです。
ちょうど昨日それが起きたのですが、どうにかアカウントは消さずに頑張っています。
ストーリーはそのうち消えるのでいいとして、自分が過去に投稿してきた内容に対しても嫌悪感が募ってきてしまい、どちらにしてもしばらくはInstagramから離れないと衝動的に削除してしまいそうです。
削除したその時はすっきりさっぱり、といった気持ちになるのですが、メンタルが回復してくると「なんで消しちゃったんだろう。せっかくの思い出だったのに」となるのが、この衝動の厄介なところ。
自分のことながら毎度疲れます。
同じような人、いませんかね・・・
この衝動が自然におさまるのを待ちつつ、気分を紛らわすために掃除をしたり、ゲームをしてみたり。
こういうときって集中力も切れがちなので、いつもほどのめりこめないんですけどね。
こういう波を乗り越えて生きていくしかないのかなぁ、と。
歳を重ねれば重ねるほど、こういった波の乗りこなしが上手になるのでしょうか。
今週もまだ始まったばかり。
気負わず、無理せず、一日を積んでいきたいと思います。