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音に記憶される感情
CHARAさんのLIVEに行った。友だちに誘われた時、20代の時よく聞いていた彼女の声が懐かしく甦り、二つ返事でチケットを申し込んだ。
CHARAさんの歌声をライブハウスで聴いた時、20代の自分を思い出した。
初めて彼女の声に魅了されたのは、1990年代の映画【スワロウテイルバタフライ】の中で、主演女優として、そのストーリーの中の歌手として歌う彼女を見た時だった。この映画は、岩井俊二監督の作品で、架空の世界YEN TOWNという、日本の円が最も強い時代に円を求めてやって来た移民たちの住むエリアの若者たちのストーリー。強烈な世界観で、その世界観を作る大きな要素としてCHARAの歌声の存在感が際立っていた。その頃、わたしは自分自身もビジネスをスタートし、成功を求めて走る20代だったから、その映画の主人公たちの成功の仕方はさておき、何かを目指す感覚が重なり夢中になった。胸を打たれ、どこか既視感のあるその映画のファンになり、それを作った岩井俊二監督の映画をレンタルビデオ店に足繁く通って全て見たのを覚えている。さらにその時のわたし自身の生活や身の回りで起きていたこと、その頃一緒に過ごした人たちのこともCHARAさんの歌声がトリガーとなり思い出した。普段思い出すこともないような思い出が、まるで記憶のしまってある扉が開いてそこから情報が少しずつ漏れ出すかのような感覚だ。
不思議なのは、出来事よりも人よりも先に感情が腹の底から湧き上がるように浮上する。CHARAの歌声というキューが、わたしのみぞおちあたりを刺激して、20代前半のわたしが感じていた甘いような酸っぱいような苦いようななんとも言えない感情が湧いてくる。確実に味わったことのある感情で主観的ではあるけれど、今のわたしの客観性がそれを観察する感覚もある。その感情がまたトリガーとなり、その頃一緒に過ごした人のことやその人との関係性、一緒にしたことや嬉しかったこと、悩んだことなど出来事が徐々に脳裏に蘇る。
音には感情を記憶する力があるようだ。学生の頃よく聴いた曲が流れるとその頃の楽しかった感情と思い出が湧き上がってくるような経験があなたにもあるのではないか。「あーこの曲!海に向かってドライブする時いつも聞いていたな。」とか、「うわー、懐かしい!これは初恋の人とデートの時に見た映画のサントラだー。」というように、音楽とその頃のイベントが思い出され、懐かしいと感じたことがある経験は、誰もがしてるのではないだろうか。自分にとって良いことも悪いことも人生の中では経験する。その時には必ずなんらかの感情の起伏がある。それを記録してくれるのが実は音なのではないだろうかと思わざるを得ない。
このエッセイを書き始め、上手くまとまらないから下書きに残していた。そんな時、故坂本龍一氏をフィーチャーした展覧会【音を観る 時を聴く】を見に行った。わたしの親友がこの企画展のグッズの制作企画をしているので招待券をプレゼントしてくれたのだ。そして、このテーマを見た時、「やっぱり!!そうか、、」と確信した。音の波動が水面に描く波紋という模様のアート、光と影と音で表現されるインスタレーションは、見る人それぞれに何らかの感情を抱かせる。じっと腰を据えて干渉している人、作品とキャプションを交互に見る人、通り過ぎようとしてふと立ち止まる人、目を瞑りひたすら音を感じようとしている人、数多の人が彼の音とそれを形として表現したアートの世界で何かを思う。
ノスタルジーを感じている人もいるだろうし、この日鑑賞したものが強烈な刺激として残り、後にある音を聞いた時にこの日の感情と風景を思い出す人もいるだろう。坂本龍一さんはこの世を卒業していったのに、まだなお、人の感情に訴えかけ刺激を与え、誰かの人生に影響するのだ。それは彼が天才的な音楽家、つまりは音の魔術師だからこそなのかも知れない。
結論、音は私たちの魂を刺激し、感情を抱かせ、そしてその感情を記憶する魔法なのかも知れない。
さあ、大好きだった瞬間に口ずさんだ歌を歌おう。そうすれば幸せ感に包まれて、その波動がまた次の幸せを連れてくるのだから。
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