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#6「食事中にスマホをいじる親でいいのか?」――家庭と仕事に追われ、発熱しなければ気づけなかった「親の背中見て育つ」「曲がった時だけ舵をとれ」子育ての肝。僕には真似できない想像を超える副店長の器の大きさに感銘を受けたクリスマスイヴ【トキシックワーカーの影】


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発熱以来
僕は昼間寝込む日々を送っていた。
副鼻腔炎らしき症状に悩まされ、
耳鼻科と内科をたらい回しにされるばかり。

発熱外来も予約で埋まり、
検査優先で受診は後回し。
それも仕方がない。
まだ新型コロナウイルスが未知の病気だった頃で、
発熱はそれだけで周囲を緊張させた。
必要以上に恐れられていた時期だ。


家庭内で「隔離して」と言われても、
そう簡単にはいかない。
結局、「食べて寝る」しか手段がないのだ。


保育園では
保育園では娘が「ママと一緒がいい」と駄々をこねたらしい。
先生が下駄箱で説得し、教室まで連れて行ってくれたという。
先生、すごいな。
娘のわがままに振り回されている僕とは大違いだ。


家庭でもイライラしてしまう自分がいる。
仕事で感じたストレスや感情を家庭に持ち込んでしまっているのだろう。
忙しさに追われ、
心に余裕がなくなっているせいかもしれない。
「うまくいかない。思うように動いてくれない。」
そんな思いが心を占める。
怒るべきなのか、それとも叱るべきなのかもわからない。

ふと頭に浮かんだのは、どこかで聞いたことのある歌詞。

ケツメイシの『明日の少年』だ。

「打ち解けるなんて無理、胸に手当悔いとけ 言葉ではなく背中見て育つ」
「目を覚ましな 何が大事か 親の見栄より子供の夢は」
「我慢ができない 親に怒られない くじけても一人では立ち直れない」
「曲がった時だけ 舵をとれ」

明日の少年/ケツメイシ


15年ぶりにこの曲を聞き返してみた。今ならその歌詞に共感できる。
そうだ、自分は口先ばかりで、
親としての「背中」を見せていなかった。
「食事中にテレビを見るな」と言いながら、
自分はスマホをいじっていたりしていた。
反省した。
まず親がやるべきだ。曲がったとき以外は、
子どもを自由にしてあげよう。
全部が思い通りにいかなくてもいいんだ。

日中、布団の中でぼんやりと考えながら、
そんなことを反省していた。



夕方、店から電話がかかってきた。
副店長からだった。
「体調大丈夫?
今日、ケーキの予約してたでしょう?
取りにおいで。
店舗に入るのはまずいから、
着いたらお店に電話して。
駐車場まで届けに行くよ。」

ケーキの予約で忙しいはずなのに…。
17時半頃、受け取りに行った。
ちょうどピークタイムだ。
「このケーキはさすがに今日食べないとね。」
そう言って渡されたのは、アンパンマンのケーキだった。
副店長の優しさに、胸の奥がじんわりと温かくなった。

普段は頼りない人だけど、 こういうときに支えてくれる人なんだ、と改めて感じた

後日談だが、受け渡しをしていたとき、社長が店舗巡回にきていたらしい

社長が・・・とか本社の偉い人がとか・・・
器の大きい人には、目先のことよりも、もっとその先の幸せというか

商売をする意味・意義をもっているんだな感銘を受けた

この恩は忘れない。
職場にせよ、家庭にせよ
目先のことにとらわれず、心の器を大きくし、
余裕を持って人を支えられるような人間になりたい。

そう思えたクリスマスイヴだった。



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