【エッセイ】セラピストという名の、ラーメン
突然の私事だが、
過去2回のラーメン回でお世話になった、ラーメン好きの彼と別れてしまった。
実を言うと、『朝ラー』投稿時にはすでに別れてから半年も経っていた。
先月、久しぶりにnoteを開くと、まだ熱々だった頃の私が書いたものが、下書きに保存されていた。
下書きを見ると、すっかり感傷に浸ってしまうかと思いきや、ラーメン小話をお伝えする意欲がむくむくと準備体操を始め、気がついた頃には、自分でも驚くほどに意気揚々と、元彼との思い出を書き綴っていた。多少の傷も、美味しいネタには敵わない。
気を取り直して今回の話だ。ちなみに今回はタイムリーなネタで、下書きでぬくぬくと温まっていたものではござらない。
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彼と別れ、悲しみが過ぎ去った後に残ったのは、一つの確信だった。
彼は、私に教えてくれた、ラーメンの美味しさを。
私はラーメン初心者のゼッケンを背中に貼り付け、1人になってもなお、定期的にラーメンを求めるようになっていた。
その日は仕事帰り、金曜日だった。夜は予定がなく、次の日もお休み。
なんだか家にまっすぐ帰るのは、もったいないような気がしながら、最寄り駅で電車から降りたとき、
『ラーメン』
私の脳内に、四文字が滑り込んできた。
その四文字が入り込んだら最後、逃げることも、追い返すこともできない。
屋外のホームで、周辺のありとあらゆる「ラーメン的な匂い」を感知し、口はその塩分を欲し、チャーシューの油を欲し、肺は麺とともに吸い込む酸素を欲し、私の脳は、ラーメンでありとあらゆる感覚を使い果たすことを望んでいた。
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「最近できた新しいラーメン屋に入ろう」
勢いよく、迷いなく、店に向かった。
しかし店に近づくにつれてその勢いは徐々に小さくなってゆき、入り口付近では歩みを0.5倍ほどに緩めていた。
「気軽に散歩している」風に装い、横目でちらっと中を覗きながら、ラーメン屋の前を通り過ぎた。
サラリーマン2人と、白いシフォンスカートの女性が1人。これは…いける。黒いスカートと黄色いブラウスの私は、安心して入店した。
カラカラと軽い手触りの扉を開き、人目を避けるように、まっすぐに券売機に向かった。
塩そば味玉つき、素早くボタンを押した。
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席に着いて、ビニールに入った温かいお手拭きと、お冷やとともにラーメンを待っていると、
「お待たせしましたー」
数段高くなっている厨房から、真っ白く、つるりとした丼が出てきて、目の前の台に置かれた。
少し腰を上げ、ラーメンを両手で持ち上げた時、そのまま口を近づけて、スープを飲みたい衝動に駆られた。
食い入るようにラーメンと対峙しながら、衝動を抑えつつ、腰を下ろした。
レンゲをつかみ、スープを一口。これは…
レンゲが美味しい。
いやもちろんスープは格別に美味しい。だがレンゲも非常に良かった。口当たりがつるりとまあるく、初対面のラーメンと私の間にあった、うっすらと膜が張られたような緊張を、柔らかく取りなしてくれた。
スマートな仲人のおかげですっかり安心した私は、ラーメンを啜り始めた。勢いはもう止まらず、さらっとした舌触りだが、こっくりと濃厚さがあるスープに、麺はしなやかで、奥歯でずっと噛み続けたくなるような、きゅっとした歯触りと甘みがあった。味玉の醤油の甘みも、チャーシューのローストポークのようなしっとりさも、格別だった。最後は、お冷やとスープを交互に、飲み干した。
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元彼と初めて一緒にラーメンを食べた時、「ラーメン啜るときは音立てて欲しいんだよね」と、まるでYouTubeのコメント欄のようなことを言われて焦っていた私。
今では微塵の羞恥もなく、一人でズルズルと、欲望のままに麺を啜っている。
小声で、ごちそうさまでした、と言って席を立つと、厨房の好青年なお兄ちゃんがこちらを見た。目があったので、もう一度「ごちそうさまでした」というと、にこっとして、
「ありがとうございましたー」
…お?ありあり。神聖なラーメンとラーメン職人を前に、そんなことを思ってしまうのは、やはり独り身になったからか。
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以前読んだ小説で言っていた。女の色気が作られるのは、男と会っている時でも、自分磨きをしている時でもなく、卵かけご飯を1人台所で立ちながら食べている時だ、と。
私はラーメンを1人で啜ることによって、多少は色気が作られているのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、歩いていた。
何はともあれ、健やかなる時も、病める時も、いつも美味しく寄り添ってくれるラーメンに、私の信頼は増すばかりだ。