子供が苦手だった。
最近Netflixで観た「コタローは一人暮らし」というアニメがとても良かった。家庭内暴力やネグレクトによって5歳で父親から逃れて一人暮らしをしている男の子の物語で、現代の子どもや女性が置かれている厳しい状況をリアルだけどポップに描いている。
私はこうした社会問題や暴力の描写をポップに描くメディアの手法については、痛みを不用意に軽減させる効果があるので大変に批判的に受け止めている。しかし、そもそもこうした問題が社会にあることすら伝わらない結果、ないことにされるよりは相対的にマシであると考えている1点においてのみ許容できている。このアニメは無用にポップにしていないのでそこも好感が持てた。
この物語には幼い子どもの一人暮らしを支える同じアパートの住人が何人も出てくる。その中のひとりである「武井すみれ」さんというOLは、普段は子どもが苦手で震え上がっているキャラクターだ。しかし、コタローの窮地には自分を鼓舞して立ち上がれる大人だ。このすみれさんは「子ども嫌いの女性」であることでかなりの生きづらさを抱えているようだけれども、詳細は語られない。
しかし、出産適齢期を過ぎたくらいの女性ならば、子どもが嫌いな「産む性」であることが、不自然で不完全な存在であるかのように世間から扱われることは容易に想像できるだろう。容易に想像できるということは、そういうことはデイリーに起こっていると考えてほぼ間違いはないだろう。
私には甥が3人と姪がひとりいるが、一人目の甥が生まれてきた時は、私もすみれさんと同じく子どもが苦手だった。彼らは話しも通じないし、どのように対応してよいのかもわからなかった。赤ん坊のそばに保護者がいないとソワソワした。女であるというだけで、赤ん坊を安全に保護していられるという非論理的な期待をかけられることを私は徹底的に拒否した。
そんな状態なものだから、2人目の甥が生まれた時は甥とすぐには会わなかった。彼が2歳くらいの時に初めて会ったように思う。高IQ児独特の利発さ、そして世界への関心の高さからADHD(注意欠如・多動性障害)のように落ち着きがない子どもだった。まだ文章をなめらかに話せなかったが、ひらがなからアルファベットまでしっかりと認識していた。
それがどのくらい奇異なことかは当時の私は認識していなかった。それより気になっていたのは彼の母親である私の妹と話をしているあいだ、甥はカフェのテーブルの上にある紙ナプキンをひっくり返していたことだ。それを見ても妹はなんら注意することなく、せっせと甥が散らかした紙ナプキンを拾い集めていた。
私なら、紙ナプキンに触れないよう子どもから遠ざけるか、ひとまずその行為を咎めるだろうと思った。それをしない妹を不思議に思い、お店の人に迷惑だろうとイライラしたのだった。
それからしばらくして、妹は甥を連れて離婚することになる。原因は夫の物理的&精神的な暴力だと聞いている。夫側がごねにごねまくって離婚には多くの時間とお金と気力を費やしたが、縁が切れることを家族総出で喜んだ。
私は妹の仕事が決まり生活が安定するまで、ど田舎の実家に帰って妹を手伝うことにした。私にとっては人生で初めての子育て。それは甥がコタローよりちょっと幼いくらい、4歳の頃だったと思う。
甥はその年頃の子どもらしく「なんで?なんで?」と大人を質問責めにはしてこなかった。「なんで」を飛び越して自分の出した結論に基づいて行動していた。私は甥の行動原理が理解できなくて、怖くてストレスを溜め込んだ。「なぜそうなる…?」を問えない状態で苦しんでいたら妹が言った。
「あ、それは本人に聞いたほうがいい。本人しかわからないから」
とても当たり前だけども、これが契機となり甥との対話が始まった。
2歳の頃のには話しができなかった甥だが、4歳ともなると大人と同じように言葉での意思疎通がスムーズにできた。理解力も恐ろしく高い。おかげで説明をすれば、大抵のことは解決できた。彼の行為の何が良くないのかに関しても説明すれば理解をしてくれた。たとえば私が自動販売機でジュースを買うのに千円札を使ってお釣りが出てきても、その所有権は(紙幣から硬貨に入れ替わっているように見えて)依然として私にあるのだから、許可なく持ち去ってはいけない。など。
そして多くの場合、私の説明は取るに足らないようなつまらないものであることにも気がついた。左右の安全確認を怠って車道に飛び出していくことは時に命を失うので危険だけど、飛び出した理由はいつでもあったし、彼が友人と仲良く遊べないで喧嘩をすることにもまっとうな理由があった。車道へ飛び出したのは、私が遠くから歩いているのに気がついて嬉しくなって駆け寄っただけだったり、友人が意地悪で甥の自転車を隠したことを単に甥が咎めているうちに取っ組み合いに発展しただけだったり。そりゃ大人でもそうなるわと思うことだらけ。
「他の子が仲良く遊んでいるのに、なぜ取っ組み合いをしているのだ…」という視点で見ていると「なぜそれをしてはいけないのか?」という問いの説明が自分で情けなくなるほど陳腐になる。私が怒っているのは、甥のいたらなさのせいではない、大人である自分の都合であることが多いのだ。
そんな甥は私や大人たちのそばを離れることはなかった。あまりに毎日まとわりつかれるので、子どもが苦手な私が真っ先に音を上げた。食事を作っているキッチンの足元で、大量のおもちゃを運んできて遊んでいる。熱い油も飛ぶし、物理的に危ない。
「どうして君はひとりでテレビを見たり、隣の部屋で遊べないの?」
そう聞いても甥の答えは不明瞭だった。
次に祖父である私の父が音を上げた。私が困っている姿を見て父は声を荒げて甥を叱るようになった。
甥はなぜ怒られているのかを承知したのかしていないのかわからない顔で、じっと祖父を見つめ返していた。なぜそんなに大人たちの間にいることを譲らないのだ…。大人同士が話している会話に、何度怒られても必ず割って入ってくる。甥の行動がおかしいのは明らかだった。しばらくして原因がなんとなくわかる。
妹夫婦の関係が悪化した時期とだいたい同じ時期に、甥はひとりで遊べなくなったとのこと。
甥を観察をしていると、ひとりで遊べないからといって、他の子どもと遊べば済むのかと言えばそうではなかった。甥は他の子どもと一緒にいても大人を欲する。その理由も妹が元夫の話しをするようになっていくうちに、なんとなくわかってきた。
大好きなパパがママを怒鳴りつけていた。しかし、パパの言い分を聞いても理由がわからなかった。理由がわからないけれどもパパはママを怒鳴るのだ。ママはそんなパパに時折言い返していた。すると皿が飛んできたようだ。家の中は激しく物が壊れていく。理由はわからないが、ママが言い返すことによって、ママの身体的な危険が高まってしまうことを甥は理解していた。妹が夫に言い返そうとすると「ママは黙って!」と言ったそうだ。
小学校に入る頃には甥は新聞を読んでいた。通常5歳では理解しえないことを理解していたのだと思う。毎晩続いた理不尽な罵詈雑言をこの子は聞いて育ったのか。そうか、この子は見知った大人が理不尽に消えてしまうことを怖がっているのかもしれない。そう思った。
そして私は甥をとことん甘やかそうと決意した。説明のつかない不幸に見舞われたのであれば、説明のつかない幸福にまみれるがいい、と単純にそう思ったからだ。
私の父が声を荒げていても「大丈夫、私の責任で甘やかしてます」と甥をそこから救出した。
もし甥が甘やかされ過ぎてダメになって、手のつけられない素行不良青年になったときは私にこの子ください。その後は私が育てますので。
子ども嫌いの姉が急にそんなふうに言い出したので、妹も笑っていた。甥と同じように遊んで、何か失敗した時だけ大人の私が責任をとった(謝罪をしたり、お金を払ったり。お金は色々解決できた)。そうして小判鮫のように甥が私についてまわる日々を半年ほど過ごした。
幼稚園児だった甥が小学生になり、季節は夏になっていた。
夏のある日の朝、父と母が作っていた家庭菜園から茄子やトマトを収穫しているとき、部屋でひとりで寝ぼけ眼でテレビを見ている甥を見た。
ん?と思ったが、夕方にもやはりひとりで子ども番組を見ていたのだ。
その日以来、甥はひとりで部屋にいられる時間が少しずつ増えていった。大袈裟に騒ぐと身構えられると思ったので、私は隠れて感動していた。
たぶん、この子の中の何かが満たされてきたのだ。
と、そう思った。
ほどなくして「甥を甘やかしたいと思う」と宣言して、半年以上帰ってこない妻を夫が東京から迎えにきた。(寂しいでしょう〜〜!?僕に対する責任!責任!怒)ありがたいことに妻が子育てで得たなんらかの収穫(?)を一緒に喜んでくれた。心が広いな、我が夫よ。
夫も甥を大好きになったし、甥も私の夫が大好きなようで「○○くん(夫の名前)をよろしくね」と手紙が届いたりする。
私の子ども嫌いはこの2番目の甥によって幸運にも、偶然的に、矯正された。その後、私は子どもの福祉に関わる活動を始め、児童福祉の分野で修士論文を書いた。
コタローも、さまざまな理不尽を5歳にして背負っている。少し前ならば、子どもがこんなに不幸な設定のアニメは好まれなかっただろう。良くも悪くも日本のアニメは表現の規制がゆるいので、ようやくこれが個別の家族の問題として閉じられず、外の世界へ出てきたか!と思った。
そしてすみれさんのような存在にもスポットが当たったことが嬉しい。このアニメが秀逸なのは、コタローの住むアパートのコタローを支える大人たちがずっと右往左往しているところだ。コタローは大人の都合で一人暮らしを余儀なくしているか弱き子どもであるにも関わらず、不幸を受け止めるだけの存在ではない。大人たちを右往左往させ、時には大人を子どものように泣かせることもある。
カフェで紙ナプキンを全て取り出してバラバラにしていたことを、親がなぜ注意しないのだ?と訝しく思っていた私にとっては、子どもとは注意さえすれば大人の言うことを聞く受動的な存在だった。
実際は私のその後の人生を大きく変えたほどに能動的な存在だったし、”自分は変わる余地があります”という真摯な姿勢で対話をしてみると、彼らは彼らの”生”を主体的に生きているとすぐわかる。
もし本当に子どもが無力なのだとしたら、それは子どもを無力化している周囲の大人のせいなのではないか?と、自分たちをおおいに疑って欲しい。
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