標準語って地味に大切と気付かされた話。
プロフィールにもあるように、私は大阪生まれで沖縄育ちだ。
沖縄で育ったと言っても時間的には大阪と沖縄が半々くらいだが、私という人格形成においての影響を考えると沖縄育ちと言っても良いと確信しているのでそう明記している。
私が沖縄に移住したのは思春期真っ只中の中学生の時。
大阪から沖縄の…しかも離島のド田舎に引っ越したもんだから、脳味噌に電撃が走るようなカルチャーショックの連続だったのは今でも鮮明に覚えている。
その中の一つが言葉が通じなかったということだ。
え?同じ日本でしょ?まさかw
そのまさか。同じ日本で意思疎通に困る日が来るなんて…
構図はシンプルなもの。関西弁イントネーションで話す私、しまくとぅば交じりの地元の同級生。
(ちなみにうちなーぐちは沖縄本島周辺の方言を指すので今回は離島特有方言ということでしまくとぅばと表記しています)
例えば掃除時間。
おわ、掃除の時間ど‼︎掃除しれや‼︎(訳:おい、掃除の時間だ‼︎掃除しろ‼︎)
おわ⁇しれや⁇知れ⁇何を知ればええんや⁇
頭の中に浮かぶ大量のクエスチョンマーク。こんなのまだマシな方でここに方言が混ざるとさらに訳わからなくなる。
例えばクラスメート同士のふざけ合いで、誰かが座ろうとしてる椅子をすっと引いて尻餅ついたらこんな台詞が出てくるのだ。
あがっ‼︎ちびいったい‼︎お前椅子引くなったら‼︎くるすよーやー‼︎(訳:いたっ‼︎おしり痛い‼︎お前椅子引くなよ‼︎マジふざけんなよ‼︎)
…何語⁇
ちなみに当時の私の言葉も同級生にとっては馴染みがなかったらしい。
今でも覚えているのは、「すんません、〇〇行きのバスはどちらですか⁇」のフレーズだけでいじり倒されたこと。
文面では普通に見えるがコテコテの関西イントネーションで繰り広げられる私の発言は、同級生にとっても訳わからん言語に聞こえたのだろう。
そんなわけで私は転校してから3ヶ月ほど同級生と意思疎通が出来なかった。
そんな経験からか、今の私は初対面の人には関西人ともウチナーンチュとも言われることがほとんどない標準語に近い言葉遣いになっている。
標準語、大事。
※ 方言より標準語が大事 という意味ではなく、その土地ならではの言葉を大切にしつつ、標準語も話せることが大事だと中学生ながらに感じた という話です。