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「文化」不在の留守番禁止条例

埼玉県議会による「留守番禁止条例」が物議を醸したこの一週間。

現役子育て世帯として、こんなの、うまくいくはずがないだろう、と思ってみていたら案の定、成立前に頓挫したというニュースが流れ、ほっとしている。

以前とある自治体の子ども関連部署にヒアリングをさせてもらった際、担当課の目下の困りごととして伺った話がある。

(少し前の話なので今は状況が変わっているかもしれない)

それは、シングルで夜職のお母さんたちが、子どもを夜間家において仕事に出てしまうことで、制度としては夜間保育園を整備しているのだけれども、仕事明けに保育園に子どもを迎えに行くと、そこで子どもが一度起きてしまう。

それならば、慣れた自宅で一晩通して朝までゆっくり眠らせたい、ということで、子どもを家に一人にしたまま夜間出かけてしまう、ということにどのように対処したらいいのか、ということだった。

とはいえ何か起きたときに気づけないと大変なので、市販されている見守りカメラなどを駆使して何かあったときに備えている家庭もあるようだ、と。

シングル夜職のママ友ネットワーク間では、小2以上であればそのやり方でまぁいけるんではないか、という文化があるそうだ。

この状況が正しいか正しくないか、と問われればそれは正しくないということになり、行政としてもその状況はネグレクトに当たりますよ、という指導をせざるを得ない。

とはいえ、働かなくては生活できないので出かけざるを得ないお母さんも多い。

じゃあどうするのか、ということになると、お母さんが夜働きに出なくてもいいように生活・経済・就労面のサポートを整備したり、そういうときに頼れるような身内もいない家族に、地域での見守りやサポートをしたり、という環境整備が必要だが、これも一朝一夕に進むものではむろんない(これに関しては「ケア」という労働をあまりにも軽視してきた政治の責任が大きい)。

あなたのやってることは白、あなたは黒、とルールで仕分けしてしまうことは簡単だけれど、物事はそう単純ではなく、その間には必ずグレーの領域がある。

つまり、望ましくはないかもしれないけれど現状そうするしか方法がない、という状況。

社会は日々刻々と変化しており、制度というのは基本的にそれに追いつかないものだ。

変わりゆく規範や制度の合間からこぼれおちるものを、文化というクッションで吸収してきたのがこれまでではないだろうか。

そしてそれらをこれまで、本意か不本意化は別に、担ってきたのが主に女性である、ということも。

資源が無いなら無いなりの、工夫やライフハックを使って、なんとかギリギリの状況を子どもと一緒に生き延びてきたのだ。

まず、白か黒かのジャッジはいったん脇において、その工夫を認めて労をねぎらうところからしか、対話はスタートしない。

政治家の場合はそれが子どもや子育て世帯への十分なヒアリングであったり、パブリックコメントといった手続きになっていくのだろう。

この文化を無視して、正義(今回の件はそれが誰のための正義なのかすらも怪しかったけれど)という刀を振り回すと、対象は肉も骨もなくズタズタに切り裂かれてしまいとんでもないことになる、というのが今回の一連の教訓ともいえる。

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