【おうち生活の中で考えていること】
突然ですが、私は大学時代に休学をして、アフリカにあるマラウィという国に半年間住んでいました。NGOのボランティア活動を小さな村でしていました。
最近、自宅生活を続ける中で、その時のことをよく思い出します。
私の住んでいた所では、水道があっても出ないことがあり、井戸まで汲みに行っていました。シャワーも出なかったので、その汲んできた水をコップでちょっとずつ掛けながら使っていました(ちなみに湯じゃないです)。電気は一日に数時間しかなく、その時間に充電をしたりしていたけど、それ以外の時間は電気はありませんでした。夜はろうそくの灯と星や月の光でで過ごしました。電気はないので、洗濯機もなく、手洗いしていました。ガスもIHもないから、木で火を起こしてそれで料理です。
インターネットは、1週間に数時間あるかないか、それ以外は週末に街まで出ていってインターネットカフェで10分ごとの料金を払って使っていました。
「ないもの」を上げればキリがないでしょう。よくそんな生活が出来たな〜って思われるかもしれないですが、そんなに大変だったという思い出ではありません。それは、そこにはいつも、それを一緒に笑い合える、助け合える、ケンカ出来るボランティア仲間の友達がいたし、底抜けに明るいマラウィ人の友達がいてくれたから。どんなにつらい状況でも、しんどくても、笑顔を忘れない、何とかなるよ〜って言ってくれる、そんな人達に私は助けられました。
生粋の日本人、石のように固い頭だった私を、柔らかくしてくれました。
今のおうち生活には、マラウィでなかったものは全てあります。生きる上で必要なものは、全てあるし、それに加えて美味しいご飯も食べられるし、インターネットは24時間あるし、なんて便利な暮らしなんだろう!!と。
唯一の違いは、一緒に笑い合ったり、時間を共有出来る友達や家族と直接会えないことです。
どんなに便利になっても、やっぱり人が大好きな私にとっては、すごく辛いです。でも、また会いたいと思える人がいることの幸せを噛みしめているし、また会える日を楽しみにしているから、今は我慢の時です。
そして今、アフリカ生活で私に笑顔や元気や勇気をくれて、しんどさを知っているからこそ、若僧の私を支えてくれたたくさんの友達みたいな存在に、私もなれたらと思います。日本にはない価値観や見方を少しでも伝えれたらと思うし、コロナにどう向き合っていけばいいのか、一緒に考えていきたいなって。
アフリカは、今世界で、一番コロナウイルスに対して被害を受けやすい状況にあります。コロナウイルスがなくても、ただでさえ医者は少ないし、薬も設備も整っていない国々で、コロナウイルスは国境も国籍も関係なく広がっています。
彼らは、自分達の国の医療体制で支えられる限界があることを知っている。そして、今回ばかりは国際支援に頼れる状況でないことも。だからこそ、自分達の限界が来ないように、とにかく予防に努めるしかないと。何とか最悪の状況を回避して欲しい。
『医療危機』という言葉は、私達が普段の医療が安心して受けられる国だからこそ言える言葉で、そうではない国にとっては、もはや『国の崩壊』です。
アメリカがコロナ患者のためにマラリア薬を大量に買い占めたことも、私はすごく心配しています。アフリカでは、マラリア薬がないことで救われるはずの命が救われないのは良くて、アメリカでは、どんな手を使ってでも命は救われるのか?
また、イギリスのニュースを見ていると、貧しかったり移民の多いコミュニティにいる人達は、密集した家で生活していることや、糖尿病や高血圧の率が高いことも影響して、感染率が高いことも分かっているようです。
それでも、はっきりとした治療法の見えない状況の中で、『感染の恐怖や命の価値に、国籍や社会レベルや経済レベルは関係しない。人はみな平等だ』ということを、コロナウイルスは私達に教えてくれている気がします。
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