【見えないものへの恐怖→差別】
これは、未来の自分の記録として書いておきたいと思ったので、書こうと思う。
コロナウイルスがまだ中国とアジア諸国でしか広まっていない頃、イタリアではコロナウイルスのことを中国人のものだと思っていた。
「ウイルスは国籍も人種も関係なく感染する」という、とてつもなく当たり前の事実を彼らは受け入れようとしていなかった。それが、感染したくないという恐怖からなのか、感染症への経験がなさ過ぎることからなのかは分からないけれど。
そして、イタリアでも中国から来た観光客が感染してしまい、イタリアでの第一号が出る。でも、その頃もまだイタリア人への感染はなかったため、相変わらず中国のものだと思われており、中国人への明らかな差別が始まった。中国人経営のレストランへの嫌がらせ、客足の激減、大学での授業受講拒否、お友達同士で中国人だという理由でパーティーに呼んでもらえないetc、ニュースでも取り上げられていた。イタリアに長く住み、こちらで根を張り生活している彼らに対して、本当に酷い仕打ちだったと思う。
そしてその風当たりは、あまり中国人と姿形の変わらない私達日本人へも向くようになる。私は今回のコロナの件で、人生で初めてぐらいの差別を受けた。
何も悪いことをしていないし、ウイルスにも感染していないし、ただ街を歩いていただけだ。それだけで、イタリア人に明らかに避けられたり、嫌な視線で見られたり、距離を取られたりした。ショックだった。すぐには理由が分からなかった。海外である程度生活してきて、こんなにも分かりやすく差別されたのは初めてだった。もっと酷いことをされた日本人も、きっといると思う。
でも、相手が私を怖がっているのは、私に対してではなく、「見えないウイルス」に対してなのだと、冷静になると理解出来た。
改めて、考えてみると、世界には理不尽な理由で差別されたり、嫌がらせを受けたり、酷い扱いをされている人が、たくさんいるんだ。その事を、頭では理解しているつもりだったが、実感としてその理不尽さをここまで感じたのは初めてだった。「差別はいけない」そんな正義を何百回聞くより、体験で知ることが出来たことは、私の中にガツーンと残り、私はこれを今後の人生の糧にしようと思った。
「絶対にこんな思いを人にさせたくない。」
そして、差別をしてしまう人の気持ちも少しだけ分かるようになった。それは、自分とは違うものや、知らないもの、怖いものを人間は避けたいと反射的に思ってしまう生き物だと、今の環境で実感したから。でも、その精神的な反射をそのまま言動に反映してしまうのは、あまりに動物的なんじゃないかと思う。
私達は、人間だ。人間はバカなところもいっぱいいっぱいあると思うけど、やっぱり考える頭と感じる心を持っていると信じたい。
「差別しない力」「怖さを差別に繋げない」「一歩立ち止まって想像する」
そういうことが出来るきっかけを私は差別をされることでもらえたような気がしている。日本でも、そんな想像力が広まって欲しいなと願わずにはいられない。
ウイルスは私達の身体を病気にするかも知れないが、心まで病気になってしまっては、人間の負けだと思うから。
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