【第1話】人生を変えた憧れとコンプレックス
関西の閑静な住宅街で
2人の子供と旦那の家族4人で暮らす専業主婦の私。
どこにでもいる普通の主婦の私ですが
実は人と違った3つの要素を私は持っているのです。
1つ目は、土佐弁なまりのクセの強い関西弁を話すことw
2つ目は、自宅でネットを活用しながらビジネスで収入を得ていること。
3つ目は、ビジネスで身につけたスキルを生活に落とし込み子育てとビジネスが両立できていること。
子供との時間を楽しみながら(たまにイライラw)
空いた時間でネットへアクセスし、子育てママさんの副業相談を承ることを仕事としているのです。
実はそんな穏やかな日常を過ごす私も、
最近までゴリゴリのネットワークビジネスをやっていたのです。
20代からつい最近までずっと!
今では考えられないほどの多くの時間とコストをかけて、四六時中走り回っていたのです。
ココだけの話、
ネットワークビジネスではタイトルを獲得して、最高月収は100万円を超えた事もあります。
何度もキラキラど派手なドレスでセミナーに参加し
売上を伸ばすことで何度も表彰されてきた私。
「夢はありますか⁇」
初めて会う人にそう語りかけ
まるでコントみたいな世界に身を置いていたのです!
20代から最近までずっとそんなことを繰り返していました。
そんな時代も今となっては良い思い出です。
(キラキラ輝く黒歴史⁇w)
当時は昼も夜も関係なく。
家事と育児は放置プレー。
子供の運動会よりセミナーを優先した『元プロ級のダメママ』
『権利収入』を求めて走り回り、
周りからはスゴイ収入を取っていると思われていた私。
いつもオシャレでメイクもバッチリ!
夢を語る姿を成功者と見られていたのかもしれません。
でも収入が上がるにつれて減っていった銀行残高。
子供と向き合う時間もとれず、
人前でキラキラ輝きを増すほど、
ひとり不安と苦悩に苛まれていたのです。
そんなダメママ時代も今は昔
今では子供との時間を最優先で、
自宅でネットを活用してコスト0、
無料でママサポートをする事が私の仕事になっています。
かつてネットワークビジネスに奔走していた私。
家庭を顧みず子育ての楽しみや喜びを感じることのなかった私。
どうしてこんな私が、
子供と笑顔で穏やかに過ごす普通のママになることが出来たのか⁇
この経験が誰かの勇気や役に立てればと思い綴ります。
それではまず私の幼少期から思春期を
振り返っていきたいと思います。
幼少期から小学校、
そして中学高校までの長い期間、
そう、19年間のほとんどの時間を、
暗い殻に閉じこもり過ごしていました。
原因は同級生から向けられる、
冷たく暴力的な数々の言葉、
そう、私はイジメに合っていたのです。
幼い頃、
突然あごの下に小さな腫瘍ができ、
それはドンドン大きく拳1つ程の大きさまで成長していったのです。
中学校に入る頃には更に巨大になり、
醜く二重顎のようになっていたのです。
「おいッ! 二重顎ッ!!! 」
多くの心ない言葉が私の心を突き刺したのです。
私にとっての学生生活は地獄でした。
クラスの男子達から笑われる日々、
それがストレスになり過食に走った私は
さらにおデブ真っしぐらと突き進んだのです。
思春期にはそんな自分を受け入れることが出来ず、
鏡を見るのも嫌になった私。
(なんで‥私だけ…。)
何度も何度も心の中で
そう呟いていたのです。
私には3歳離れた姉がいます。
私と違って誰もが振り返る絶世の美女。
可愛くキレイでスタイルも良く
誰からも愛される地元ではアイドル的存在だった姉。
その美貌は、
地域の美女コンでNo.1に輝き、
県内有数のミスコンにも推薦されるほど!
そんな姉は両親から見ても自慢の娘で、
いつも両親の暖かい眼差しを独り占めしていたのです。
いつも私の隣にいる姉は、
憧れであると同時にコンプレックスの対象でした。
憧れと妬みと憎悪の中に、
私はさいなまれていました。
( 私も美しくなりたい。なんで私だけ。。)
美しい白鳥のような姉と、
みにくいアヒルの私、
同級生からのイジメと、
美しい姉に対する劣等感が、
自分自身を良からぬ方向へと追い詰めてしまい
どこにも心落ち着く居場所を見つけることが出来なかったのです。
そんなある日、私に転機が訪れました。
姉が私に言ったのです。
「ニュージーランドに行ってみない⁇」
「絶対にチカに向いてると思うんだ!」
勉強しない、成績悪い、やる気も無い!
(おまけにデブス‥。。)
そんな3拍子も4拍子も揃った私には何の進路も希望もありません。
高校卒業を間近に控え進路を悩む私は、
気づけば新たな土地での新たな生活に胸を躍らせる自分がいました。
暗い学生生活を送っていた私に
姉の言葉が私の光となったのです。
驚くことに、
私の父も若かりし頃にアメリカへ留学していたと言う事実をこの時初めて知りました。海外に行っていたらしいという話はボンヤリ聞いてはいましたが、父が私と同じ道を歩んでいたと言うことをこの時に知り、驚きもあり嬉しくもあったのを今でも覚えています。
父は実業家として数々の苦労を乗り越えながら事業を大きくした成功者です。そして、今では親戚や兄弟など多くの人を支援している人格者なのです。
私はそんな父に密かに憧れていました。
そんな父も実は
海外へ渡る前まではコンプレックスの塊だったそうです。
なぜなら父以外の兄弟は全員東大卒の超エリート!
その中で父だけが落ちこぼれだったのです。
そして私と同じ19歳の時に海外へ渡る決断をしてアメリカへ留学していたのです。
後に聞いた話ですが、
結果的に兄弟の中で最も大きな成功を収めた父のルーツはアメリカで過ごした数年間で形成されたのだというのです。
姉の提案からそれほど時間を置かず、
私はニュージーランドへワーキングホリデイに行くことを決断しました。
時を同じくして、長らく私を悩ませていた二重顎の原因である大きな腫瘍を切除することとなりました。
私の知らないところで父が友人の医師に相談し、腫瘍を切除する手筈を整えてくれたのです。
「ずっと‥気になっていたんだ。」
ポツリとこぼした父の言葉が嬉しかった事、今でも忘れられません。
あごの腫瘍に悩まされ続けていた私のことを、ずっと気にしてくれていたことが嬉しかったのです。
私はこの時、18年間悩まされていた腫瘍とお別れすることが出来ました。
ニュージーランドへ渡ることは、
3カ月後に控えた卒業の後に予定されていたので
手術後に再び学校へ行くこととなりました。
そして冬休みが明けた登校初日。
二重顎からシュッとしたあごに変身した私が教室に入った瞬間、
クラスはザワつきました。
( だ‥だれだ、この美人は‥‥♡)
まさにシンデレラストーリーの幕開け‼︎
‥とはいかなかったものの、
きっと似たような思いは心の中に浮かんだことでしょうwww
様々な出来事に後押しされて私の心は決まっていました。
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[第3話]奇跡の入社!雑用係から全国営業TOP3へ!
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