組み込まれた幸福感。作文講座を大きくしたいのは遺伝子による罠
小学生向け作文講座、開始の3時間前。ベーグル屋さんでコーヒーをすすっています。
最近、『われわれはなぜ嘘つきで自身過剰でお人好しなのか』という本を読みました。
感情の出どころを、進化の過程から説明している本です。どうして夜になるとビクビクするのか。どうして人に対して嘘をついて自分を大きく見せようとするのか。どうして孤独に不安を感じるのか。そんな日常に表れる心理の理由を、ヒトがチンパンジーから枝分かれた700万年前からの歴史に求め、答える本です。
この本の第9章は「進化はなぜ人間に幸せをもたらしたのか」というタイトルになっており、人間の幸福感について、進化の面から論じております。その中に「幸福とは、遺伝子に最大の利益を与える行動をとるよう、人間を動機づけするために進化が使うツールだ」との記述があります。
私たちは人生に幸福を求めます。幸せを感じたいから肉汁の滴るハンバーグを食べるし、幸せになりたいからよりよい居住地を求めて引っ越すし、より幸福を得たいから勉強してキャリアをあげようと思います。けれど、生物学的・進化心理学的に見るとそれは正しい考えではありません。幸福は目的ではなく、ただのツールでしかないのだそうです。遺伝子が人間に組み込んだツールです。
遺伝子は、人間に遺伝子を残してほしいがために幸福というツールを使います。繁殖してほしいがために、よりパートナーとして異性から選ばれるように、幸福という感情を組み込んだのです。肉汁の滴るハンバーグを食べて幸福を感じるのは、それによって必要な栄養を取れるから。引っ越しによって幸福を感じるのは、自分に適した居住地に住むことによって、日々のパフォーマンスが上がるから。勉強してキャリアをあげようとするのは、それによって魅力的な人間になれるから。必要な栄養素を摂取することも、日々のパフォーマンスをあげることも、より魅力的な人間になることも、すべて異性から選ばれる人間になるためであって、それによって遺伝子を次世代に残すチャンスを増やすためです。幸福とは、より遺伝子を残しやすいように、遺伝子にとって都合のいい道に人間を進ませるための道具なのです。
それを裏付けるかのように、幸福は長続きしません。慣れがやってくるので、いずれ幸福を感じていたものに幸福を感じなくなります。毎日うまい食事をしていると、それらの食事に慣れてもっとうまい食事を取りたくなります。引っ越して住んでみたかった地域に住むようになっても、すぐに地域に飽きて「他に良いところがないか」「もっと住みやすい場所は」とよりより引越し先を探すようになります。勉強してキャリアが上がっても、実際にそのキャリアを手にするともっと上に手を伸ばしたくなります。
もし、人間がいつまでも同じものに幸福を感じているならば、それは遺伝子にとって都合の悪い状況です。というのも、異性から選ばれる努力を怠ることになるので。異性から選ばれ遺伝子を残す努力を続けさせるために、幸せな気持ちは長続きせず、慣れが訪れるのです。
このように、一見幸福を求めて生きているように思える我々の感覚は間違いで、遺伝子に方向づけられているだけなのです。「次世代に残す」という遺伝子の目的をかなえるために人間に組み込まれた道具。それが幸福感になります。
最近、このことを如実に感じることがありまして、それは「どうやったら作文講座を大きくできるかな」と考えていることです。私のズームでの作文講座は、開講後まもなく一年と半年になります。10人ほどの小学生に対して毎月2回ほど実施しております。開講した当初は「小学生向け講座のプラットフォームに声をかけてもらって嬉しい」「お客さんに話す機会があるだけで満足だ」と思っていました、けど最近はこの幸福にも慣れてきて、「もう一歩先に進めないか」と考えている次第です。「一度にもっと多くの人に講座を受けてもらえないか」とか「この講座からもっと収入を得られないか」とか「もっとブランド力のある講座にできないか」とか。
そんな、作文講座を大きくすることを考えていると、「遺伝子に良いように扱われているなあ」なんてことを思います。『われわれはなぜ嘘つきで自身過剰でお人好しなのか』によると、我々人間はロボットで、本体は遺伝子の方のようです。我々人間は自分たちこそが本体だと思い生活をしていますが、遺伝子こそが我々をロボットのように操縦しているのです。
自分で作った仕事、自分の好きを形にした仕事をするのは楽しいですよね。幸福を感じます。私は理屈が好きですし、論理の本を読むと楽しいです。あまり大きな声では言えませんが、他人の文章にチャチャを入れて論破するのは悦びです。作文講座で論理を教えるのは、自分の好きが仕事に直結していて、この仕事がうまくいくことを考えるとウキウキします。より多く繁殖の機会をもつように遺伝子によって方向づけられた幸福感によって、私は今も作文講座を大きくする夢を見ながら、コーヒータイムを過ごしています。