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今のわたしにできること
7歳と3歳の娘がポケモンにはまっている。一日中、名前や進化を図鑑で調べたり、ぬいぐるみで戦いごっこをしたり、「今日はあいつをゲットした!」と空想話で盛り上がったり。楽しそうで何よりとうれしく思っていた。
そんな毎日にヒビが入る。
「ポケモンって男の子のアニメじゃないの?」
「学校で女の子と話合うの?」
と、帰省時に両祖父母から疑問の声があがった。ポケモンに乗じて
「柔道を習わせたいなんて」
「赤い洋服なら買ってあげる」
と娘の習い事や好みをやんわりとたしなめる。
「最近のポケモンは主人公が女の子だから、男女関係なく人気だよ」
「今は水色のドレスを着たプリンセスも流行ってますから」
と笑顔を作りながらも、内心はこの「女の子らしさ」という呪縛はいつまで続くんだろうとため息をついていた。
こんな時にいつも、幼い頃サッカーを習いたかった、大学院に行きたかった自分が、ここぞとばかりに暴れだす。でも、私が一番怒っているのは、自分の本当の思いをその都度伝えてこなかった自分自身に対してだと、私は気づいている。意見が違う相手とのコミュニケーションを「どうせわかってもらえない」と諦めてしまった。「女の子だから」の一言を鵜呑みにして、自分の意志を貫けなかった。立入禁止と道をふさがれたとしても、看板をぶん投げてでも飛び越えてでも、自分の思う道へ突き進めばよかった。だから娘には、私の分まで自分を大切にしてほしい・・・いやいや、娘は私の自己実現の道具じゃない。じゃあ、誰が、私を大切にするのか。
「私とあなたは違う」と言うことは勇気がいる。相手を否定しているような気がして、ずっと曖昧にしてきた。でも、自分と相手との間に境界線を引くことは、まっさらな黒板に白いチョークで線を引くみたいに、ただ単にお互いの輪郭をはっきりさせることだ。相手に×をつけることにはならない。人生はまだまだ続く。あの頃なりたかった自分に近づくために、「今はこういう時代」ではなく「私はこう思う」と言ってみよう。私たちを苦しめてきた時代や、なかなか変わらない世の中のせいにせず、自分はどうしたいのかを自分に問い続けよう。そんな姿を娘たちにも見せることが、これからを生きる彼女たちのほんの小さな手助けになってほしい。「違う」ことを「違う」と言うことは、自分を大切にすること。それができるのは、いつだって、私しかいないのだから。