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ぶちギレる、ではなく「ぷちギレる」がいい理由
“過保護のカホコ”。もちろん自分はあれほどではないが、過保護に育ったのかなあと思うときがある。だからちょっとカホコの行く末がきになる。
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この2、3話でカホコに小さな改革が起こっているように思えるが、その理由は、彼女が「ぷちギレ」ているから、だと思う。
ぶちギレる、これをやってしまうと結構まずい。家族でも友人でも職場でも、かなり気まずくなる。常に努力してニコニコしている人、他人のお願いにはたいていYESと答えてしまう人、冷静で落ち着きがある人。そんな人がある日、鬼の形相で怒鳴りちらしたり、性格がひっくり返ったようにモノや誰かに当たると、たいていの人はそれを悪いギャップとみなしてしまうだろう。
一方、「ぷちギレる」。これはたとえキレても、プチ。なので、変貌ギャップは小さい。なおかつ、自分の感情を小出しにする行為なので、その人本来の姿を見せていることに近いのだ。
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2話では親戚のいとちゃんがぶちギレた。カホコは、手の病気(?)に苦しむいとちゃんを励ますはずが、思った言葉を洪水のように浴びせてしまう。ぶちギレ、というより、まじギレした、いとちゃんのギャップに当然カホコはついていけない。
最後、カホコは麦野に叱り慰められ、素直に泣くことができるのだが、これが最初の「ぷちキレる」だ。
次の3話では、麦野を自分の主観で否定する母に対して、ぷちギレる。あの「うるしゃいうるしゃいうるしゃい!だまれだまれ!」のシーン。笑
そうやって、ホンネをぶつけられる人、状況を察してくれる力がある人に対しては、カホコみたいに私たちも甘えるべきなのだ。感情をうまく処理できなくなるまで、無理する必要なんてない。イライラやもやもやを、どこかで一度ぷちっ、とキレておいて、流す。日本人は特に苦手だろうな、とつくづく思う。
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かくいう自分も、一度父親にぶちギレしてしまったことがある。大したことない喧嘩なのに、思いっきり××××!と放送禁止用語を吐いて、ぎゃんぎゃん泣いた。あとで申し訳なさそうな顔をしていた父をみて、自分も悪い気がしてしまったけれど、その時初めて、相手のことを考えつつも、思ったことはなるべく蓄積される前に小出しに伝えておかなきゃ、と思ったものだ。
ただ、もっと大事だと思うのは、麦野みたいな人との関係を大事にすること。
そんな人が周りにいることに気づける自分にもならなければならないのだ。きっと。