間違いを犯した女の話 #4
女は家に帰って驚いた。
夫が家中の鏡という鏡をすべて捨てていた。女が驚いて夫に理由を尋ねると、夫は、不要だからだと言う。鏡など、所詮自分を写すしか使いみちがない。家族がいるのだ。身なりが乱れているならお互いに指摘すればいい。家族が見なければ街の人々が注意してくれるだろう。みんなとてもいい人だ。自分のそばにいる人はまさに自分を写す鏡なのだ。
女は、それには一部は、「ある意味」賛成ではあったが、その一部に関してさえも何か大きな違和感を覚えた。ただ、何がどうとは言えなかった。だから、反論もできなかった。第一、何を言おうと、捨ててしまった鏡は戻っては来ない。
夕食のとき、いつものように夫は饒舌にその日の出来事を語った。その日は、昼間夫が見た若者の話だった。
その若者は、オレンジ色の肌をしていた。オレンジ色の肌はその街では珍しく、豊かでないものも多かったので、法で定められているわけではなかったが、街を歩くときは服やスカーフや帽子でその肌の色を隠していた。ところが、その若者は顔も腕も足も見えるような格好で堂々と歩いていた。よその街から来たのかもしれない。そして、顕になったその右手には指が6本あった。それを見た者の一人が若者に訪ねた。「恥ずかしくないのか? 顔も何も顕ではないか。それで何かを訴えているつもりか?」 若者は答えた。「私は恥ずかしくありません。あなたは私を見て恥ずかしいと思うのでしょうが、私にはこれがいつもの私です。訴えることなどありません。私はただ、したい格好をしているだけです。あなたは何を訴えたいのですか
?」 また、その指を見た者が、「何かお手伝いをすることはありませんか? その手では不自由がお有りでしょう」と申し出た。すると若者は答えた。「ありがとう。でも、この手は何かと便利なのです。人より指が多いのですから。握る力だってあなたより強いと思いますよ。こちらこそ何かお手伝いをしましょうか?」
若者はとても気分よさそうに答えていたが、誰もが同情の眼差しを向けていた。
当然だろう! 夫は夕食の席でそう言った。私なら恥ずかしくて外を歩けないよ。生きることさえ無理かもしれない。オレンジ色の肌だぞ! 第一醜いじゃないか! 他人が見て恥ずかしい奴だと思うならそいつは恥ずかしい奴なのだ。自分がされて嫌なことを人にしてはいけないと言うじゃないか。それと同じだ。そう! まさに他人は自分を写す鏡なのだ。そうだろう?
女は「私なら恥ずかしくて外を歩けない」という言葉は、夫の恥じる姿が容易に想像できて納得したが、その他には全く同意ができなかった。だが、夫がそういった意見や感想を持つことは夫の自由だと思った。あの若者が肌を見せて街を歩くように。
「なら、私のこのほくろはやっぱり取った方がいいかしら」と、女の口の左端あたりにあるほくろを指した。女はこのほくろが嫌いだった。自分の体の中の醜い点の一つだと思っていた。隠してはいないが、恥ずかしいと思っていた。オレンジの肌が恥ずかしいというのなら、このほくろだって恥ずかしいと夫も思っているかもしれない。
すると夫はそれに反対した。夫はそのほくろを気に入っているからもったいない。第一、病原でもないものを取るための医療費だってもったいない、と。
まだまだ話は長くなる。
次の日の朝、女が大事にしていた猫が殺されていたのだ。