(余談)カンボジアについて3
2013年、つまりカンボジアに来て二年目くらいに、FBのノートに書いたことをこちらに再掲。いまはちょっと違う考えのところもあるけど、大まかには変わってない。
以下から
自分がこちらに来てから、1年半くらいになるので、こちらの人について感じた事等をだらだらと推敲無しに書いてみた。
一言で言えば、すごい親近感がある。
忘れっぽい、時間を守らない、しょうもないことでウソをつく、お人好し、見栄っ張り、飽きっぽい、目の前の事しか見えてない、人のものと自分のものの区別をつけらんない、嫌な事を嫌と言えない割にはやらない、等々。
全部、自分のことじゃん、と。
そして、それは自分の持ってる、ある症状に似ていると気づいた。それは、ADD/ADHD。
前にもFBに書いたことがあるけど、最近は新しく知り合った方も多いので改めて自己紹介すると、自分は発達障害のような人で、ADD(注意欠陥障害)と思われる感じです。
なんか曖昧だけど(笑)精神科医曰く、障害であるとは断定できないけど、IQテストの結果は健常の状態とは言えない、とのこと。
余談だけど、IQテストは、詳しくは忘れたけど「ウェクスラー成人知能検査」をやったと思う。
このテストの結果、全ての数値は健常の範囲内に収まっているけど、最大値と最小値が30を超えているのは、正常の状態ではない、ってことだった。
普通は、85~115以内におさまるが、自分は最小値が83で、最大値が125だった。確か。
ついでに、ADDなのか尋ねてみたが、特に否定もされなかったので、そういう事だろう。
(ADD/ADHDは障害ではない、という議論もあるので、症状として言うのは好まなかったのかも)
あ、発達障害つっても、知能障害は無いよ。むしろ、いい結果だった。
じゃあ、ADDってどんなもんか
当たり障りの無いところで、実例を挙げると…
自分は、家に帰って来た時、よくドアの鍵を差しっぱなしにして、そのまま忘れてしまう事がある。本当に、しょっちゅうある。
で、夜中や朝方に、部屋をノックする人がいて、「うるせーなー」とか思ってドアを開けると、鍵が差しっぱなしになっている事を教えてくれる親切な人だった、ということも多い。よく鍵を盗まれないもんだ。
以前に、知り合いと食事をしていた時に、自分としては「これはみんな、たまにはあるよねー」っていう、ちょっとしたあるあるネタのつもりでこの話をしたら、全否定されたのがちょっとショックだった。ホントに無いの?
じゃあ、どんな時に鍵を差しっぱなしにしてしまうのか。
毎日ではないから、何か知らの理由があるはず、と思って自分の行動をチェックした結果、買い物等で荷物が多い時に、よくやる。
つまり、荷物が多くて両手が塞がっている場合、自分がとる行動は、
・まず、床に荷物を置く。
・ポケットから鍵を取り出す。
・鍵を開けて、ドアも開ける。
・荷物を持ち直す。
・部屋に入る。
・ドアを閉める。
うん、ここには、鍵を抜く動作が入っていない(苦笑
じゃあ、鍵を抜くように、常に気をつけてれば良いじゃん、と思ったあなたは甘いです。
この動作内に、「鍵を抜く」動作を入れると、何故か押し出されてしまうのです。「荷物を持ち直す」動作が。
その結果、鍵は抜いてしまったけど、買ってきた生ものを一晩中、ドアの外に置きっぱなしにしてしまう事も経験済み。
理由はいくつかあると思うけど、少なくとも自分の脳の作りは、鍵を開けた後ポケットにしまう動作と、床に置いた荷物を持って部屋に入る動作が、どうしても両立できないんだよね。
これが注意欠陥障害のほんの一例。
で、超遠回りしたけど、
そんな自分がこちらの人達にシンパシーを感じる部分が多くある。
行動の発想とかそっくり。
じゃあ、カンボジアの人たちって、発達障害者なのか?といったら、そうではない。
発達障害とは、その言葉通り、発達が阻害される障害。
つまり、生まれたときは誰もが持っている部分(”幼児性”と言っても良いかも)は発達してゆくにつれ、社会や教育によって、徐々に矯正されていくのだけど、障害のある人は矯正できなかった”幼児性”を未だに持っている人と考える事もできる。
つまり、こちらの人の(日本人がよくため息をつく)性格は、適切な教育がなされなかったために残った幼児性だと思うので、教育がしっかり出来れば、彼らも徐々に変わっていく事だろう。
時々出会う、素晴らしくしっかりした人は、そういった教育を親などから適切に受けた結果なんだろうと思う。
自分は、脳が発達を拒否しているけど、10〜20年後、世代が変わったらカンボジア人への一般的な評価も変わっているんじゃないかと思う。
教育って大事だねっていう結論でした。