日記 生きられる水田
ほなみ(わが稲の愛称)、薊(アザミ)、中条あやみ、奇しくもわたしの好きなものの名前は「み」で終わる(もう一人いるがここには書かない)。偶然の一致にすぎないのだろうが、もしかすると無意識に「み」終わりのものに惹かれる気質なのかもしれない。もっとも、そんなことはどうでもいい。
さて、書きたいことがたてつづけに二つ起こった。衝撃的なほうから書く。
なんとわが棚田にニホンアカガエルがいたのだ。今まで田んぼで見る蛙といえば、トノサマガエル、ツチガエル、アマガエルが多く、たまにシュレーゲルアオガエルがいるくらいであったから、薄赤色の蛙を視野に捉えたときは目を疑った。
アカガエルといえばヤマアカガエルとニホンアカガエルの二種が代表的だろう。いずれも話を聞いたことがあるのみで、実物を見たことはなく、いつか自分の田んぼにやってきてくれることを密かに願っていた。が、全国的に数が減少しているとも聞いていたから、半ば叶わぬ望みと期待はしていなかった。にもかかわらず、きょう畦を歩いていると、水田に佇む彼に不意に遭遇したのだ。わたしは跳び上がる思いでiPhoneのカメラを向け写真を撮った。見たことがなかったから俄かには信じられず、すぐさま検索して特徴を確認した。うれしかった。里山生活を開始して五年目、それも自分の田で、音に聞くアカガエルに出会えたのである。予定していた作業などほっぽり出して、わたしはまじまじと彼を眺めていた。
ここで稲作をしていてよかったと心底思った。田んぼで稲が育つことは言うまでもなく、そこで多くの他の生物も暮らしていることが同じくらい歓ばしい。こうして、自分が生きる行い(主食栽培)の結果として、多くの生物たちに生きられることが、社会的に認められることなどよりも余程うれしいことだ。
奈良県のレッドリストを見ると、ニホンアカガエルは絶滅危惧種に指定されていた。これまでにもゲンゴロウやコオイムシやアカハライモリ等々——希少種が増えてきてくれている。今や貴重な者たちがわたしの田んぼには生きているのだ。これだから稲作はやめられない。わたしは里山と癒着し、着々と堆肥体/退避帯になりつつある。
二つ目。
東京からあそびに来てくださった方に、わたしの畦塗り模様を撮影していただいた。
畦塗り中に自分で写真を撮るわけにはいかないからありがたい。べつに自分を撮ってほしいわけではないが、この畦塗り法自体がもはや貴重なものなので、記録したいとつねづね思っていた。
畦塗りは、それだけで一冊本が書けると思われるほどの所業である。土、水、天気、手仕事、身体運用、鍬(鍛冶)、稲、大豆、水生生物、生物多様性、征服、共生、美、人間間の協働、継承——等々、これほど豊富な展開を持つラディカルな技術もそうそうあるまい。だが今のところ畦塗り本は確認できない。ならばこれは、つち式として扱うべき案件なのかもしれない。
今や畦塗りといえば、機械で行われる場合のほうが格段に多い。試みに「畦塗り」と検索すれば、平鍬と備中鍬を用いる方法ではなしに、畦塗り機の話ばかりが出てくる。わたしの行う二段式の畦塗りにいたっては、今まで同様の仕方を見聞きしたことはない。
二段式畦塗りは、わたしの野良仕事の先生である森下さんに教わったもので、森下さんもお若い頃に近所の年配の方に教わったものだそうだ。一段目で泥の幅を、二段目で高さを確保できる方法だ。詳細はまたいつか書きたい。
ともかく、わたしは死ぬまで畦塗りをして稲作をつづけるつもりであるし、機会をみつけて継承していきたいとも思っている。それは、イネやその他の水田生物たちのためであり、ヒトの悦びの維持のためでもある。
現在、ほなみちゃんは苗代ですくすくと育ち、薊は花を咲かせ、中条あやみは相変わらず美人である。あしたは急遽仕事が休みになった。「休み」。大好きな響きだ。やはり「み」で終わるものはいい。
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