パニック症状が治ってくるのと同時に鬱に襲われていくのがわかる。この関係性は何だ。頭は静かだけどその代わりに何かに対する興味が全部薄れて、泥のようになって動けない。
映画「とりつくしま」を観た。 何かの拍子に死んでしまったあと。 「この世に未練があるならば、何か物になって戻ることができます」と告げられ、 皆、大切な人の近くにあるものへと「とりつく」ために 紙に文字を書き、息を吹きかける。 ・・・ 私だったら、誰の近くの、何にとりつくだろうか。 たとえば、いますぐにでも死んでしまったとしたら 祖母や母の近くのものにとりつきたいな。 そのとき思いつく人はきっと自分のことを世界で誰よりも愛してくれた人だ。 映画を見終わってすぐに出てき
カレーうどんが美味すぎるよマジで。
誰にも気を遣わなくていいから、1人で出かけたり買い物をすることが好き。 だけど、1人でいると夜が怖いし孤独を感じる。 我儘な人間だ。 人と会うとうれしくなるのもまた人間だ。 私は我儘なので。 明るくなってからしか眠れないような日があったっていい。 抗えない自然災害や死んだ後のことを必要以上に想像したっていい。それが頭からずっと離れないのがわたし。悔しさに突き動かされて走り続けているのがわたし。 ウィダーinゼリーしか飲めなくなっていた頃の私へ。 お腹が空いて、食欲が
(あくまでも体験談なので、病気の症状には個人差があるということを念頭に読んでいただけますと幸いです。) 朝、起き上がることができない。 フラフラとして、頭がサーっとする。 すべての症状を「貧血のせい」で済ませていた私は、毎晩鉄剤を飲んでから眠りについていた。(今思えばそれは、その時の症状に対してはほぼ意味を成していなかった) 私が最初にパニック発作を起こしたのは、バイト先の小さな飲食店の店番を1人で任されていたときだった。 田舎町で人通りも少なく席が10席ほどしかない
思考が止まらないことをうまく昇華させていくために、noteを書き始めることにしました。 目に止めてくれた方、有難うございます。 他人のスマホのメモ欄をのぞいているような気持ちで読んでもらえると有難いです。 わたしは日本に生まれ日本で育ったひとりの人間です。 病院の待合室でこのアカウントを作成したので、そういえば錠剤の種類にチュアブル錠ってあったな、なんかいい響きだな、と思いつきで名前をつけた。私はデカめの錠剤も粉薬も容赦なく飲むことができるが、水なしで噛んで飲める錠剤の偉