岩田奎『膚』四十句撰

千手観音どの手が置きし火事ならむ
耳打のさうして洗ひ髪と知る
をりからの夜空の色の日記買ふ
かんばせは簗の光のなかに泣く
うつし世を雲のながるる茅の輪かな
しりとりは生者のあそび霧氷林
榾の宿闇のどこかにオロナイン
ぺるしあに波の一字や春の星
搔敷に油の移る花疲
バーベキュー森の何者からも見え
秋日燦川面をたばしりて去らず
にはとりの骨煮たたする黄砂かな
煮るうちに腸詰裂けて春の暮
なかぞらに楚の消えて梅雨菌
十薬の斜面なぞへを貌の降りて来し
沙羅の花ひつかかりをる早瀬かな
赤い夢見てより牡丹根分かな
おろおろとセダンの去つて海蠃廻し
東京を鬼門へ抜けし毛皮かな
羊歯の谷氷れり谷の名は朽木
鯉の身をひとひら食べて春陰へ
靴篦の大きな力春の山
セーターに首元荒るる桜かな
母のかほ水にうつらず蝌蚪の紐
ぼうたんの黄金きんゆりこぼす花の内
ある人の時計は右手めてに通し鴨
翡翠とわれとだまつてゐれば翔ぶ
虫喰の黝き痕藍を刈る
土瀝青づかれの祭足袋干され
五月蠅なす神が日傘のうちに入る
座頭虫天辺にゐるケルンかな
彎曲の妻をやしなふ稲の花
流灯の下流の人を思ふなり
擦過する馬身水澄みやまぬなり
滝壺へ散りこまぬ辺に葛の花
綿取つてくろぐろと竅のこるなり
冬深くうすらひざまに板膠
冬空やねぢれびかりに握墨
変速をしてゐる春の夢のなか
流氷をかち割る船のなか尿る

 言わずと知れた岩田奎氏の第一句集『膚』より、僭越ながら撰をしてみた。『膚』のあとがきでは、佐藤郁良氏によって以下のように語られている。

決して派手ではない写生句

岩田奎. 膚 (ふらんす堂電子書籍1000円シリーズ) (p.159). ふらんす堂. Kindle 版.

一見地味に見えるこれらこれらの句にも、どこかそこはかとない華がある。

岩田奎. 膚 (ふらんす堂電子書籍1000円シリーズ) (p.159). ふらんす堂. Kindle 版.

 角川俳句賞を取ったときに含まれていた「地味な写生」は果たして岩田奎氏の真骨頂なのだろうか。岩田氏を語る上で外せないのは、こちらも言わずと知れた以下の二句だと思う。

旅いつも雲に抜かれて大花野
紫木蓮全天曇にして降らず

 外野からすると、この二句の印象、そして角川俳句賞受賞時の印象が強かったので、受賞後に発表していた句には違和感というか、物足りなさすら感じていた。しかし『膚』という句集を通じて、自身の表現力を恃みにして具象から観念、普遍へと接続してこうとする野心の一端が垣間見えるような気がした。今後とも、陰ながら応援させて頂きたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?