黒岩徳将『渦』30句撰

 本年で34歳を迎える黒岩氏は同級生。黒岩氏は高校生のときに俳句甲子園を通じて俳句を始め、『天の川銀河発電所』に名を連ねた後、現代俳句協会青年部の部長を務めている。知名度・俳句界への貢献度を鑑みれば、30歳まで第一句集が出版されなかったことの方が不思議に思える。『渦』の上梓が俳句界に与えた影響は大きく、既に多くの方がブログ等で取り上げている上、出版イベントも企画されている。3年前、野良犬のように俳句周辺のインターネットを徘徊していた私を拾ってくれたのが黒岩氏だったわけだが、つくづくエライ人に拾われたんだなと、尊敬の念を新たにした。

30句撰

鶏頭の真下のみづのすぐ乾く
口笛となるまでの息冬桜
掃き寄せて花屑らしくなりにけり
白玉やバンド解散しても会ふ
帚木の等間隔にありにけり
左大文字も入れて撮りにけり
白滝の結びの緩し花八手
昼顔の国なり此処も対岸も
掌が桃を離れて柔らかき
日なたにも涼しきところ葱坊主
花合歓に日照雨こまかくありにけり
湧水もかなかなも白濃かりけり
欠伸より大きな柿を貰ひけり
冬麗の頬を嚙み合ふ子豚かな
氷柱より切手につけるほどの水
剪定を仰ぎて何もなさざりし
風音のゆきどころなき干潟かな
鈴蘭や耳朶に経絡夥し
形代に記す昔の筆名も
シーサーに阿吽ありけり阿が涼し
洗つても洗つてももう鰻の手
メリーゴーランドの鞍のなべて冷ゆ
秋燕や科挙に詩作のありしこと
十月やピアノに食らひつく猫背
建材の上に巻尺破芭蕉
石膏の完全な球冬に入る
セーターやまんばうの口半開き
波郷忌の切られし髪の掃かれけり
着水のまへ白鳥の少し浮く
どちらからともなく凭れ冬の海

所感

 「白玉やバンド解散しても会ふ」の句は既にセクトポクリット等でも取り上げられていた。抒情に寄りきらない“青春性”の謳いあげとして評価されているという認識をしている。私の30句撰には挙げていないが、「翌る日の七夕竹の雨の粒」はつい先日浅川芳直氏によって河北新報に取り上げられており、情緒を活用する技術も持ち合わせていることを窺うことが出来る。
 常日頃より、街の今井聖主宰は俳句の伝統的な情緒に頼らずに詠むことを強調している。これは創作倫理の是非にかかわる主張で、自分の与り知らぬところで成り立ってきた出来合いの情緒に自身の作品を委ねることを疑問視しており、非常に説得力がある。一方、俳句に携わる人間たちの間の集合的無意識とでもいうだろうか、その合意が奈辺にあるかを知ることは、俳句の技術鍛錬の一環であるという考え方もある。
 河北新報に取り上げられた句をはじめとして、終盤にかけての句群には、情緒の在処を知った上で主体の“目”を上乗せしようする企みと気概が感じられ、大変読み応えがあった。序盤のストレスの緩い句の流れに身を委ねていると、終盤にかけて水流と吸引力が一気に強まっていき、あたかも渦潮のように引き込まれ、ぽっと放り出されるかのような読後感。読み終えてから「渦」というタイトルが非常に練られたものであることを実感した。
 栗林浩氏が指摘したように、モノとコトに即しながら「今」を描く、そこにリアリティが生まれるという今井聖主宰の教えを余すところなく体現していると感じた。その上で、時折姿を覗かせる執拗な表現に作家・黒岩徳将の“デモン”が表出しているようにも感じられ、非常に興味深い句集だった。

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