鈴木総史『氷湖いま』40句選
はじめに
鈴木総史氏とはちょっとした御縁がある。氏が星野立子新人賞を受賞した2023年の春先、私はちょうど自身の句作の行く末について思い悩んでいて、氏に多作多捨のパートナーをお願いした。お互いに評を入れ合ったりもしたので、そのときのフィードバックを参考にしつつ句作に活かし、まさかの一年後に私自身が氏と同じ賞に輝くこととなった。そんな先達の第一句集とあって、技術的な洗練には唸らされるばかりであった。また、私の技術不足によって星野立子新人賞の品位を貶めぬよう一層の修練を要することを再確認するとともに、その水準を知ることで危機感を新たにした。
特選五句
特選としては以下の五句を選んだ。これ以外の三十五句も併せて、相変わらず句集の魅力を余す所なく示しているとは言い難いが、特選にはどこか言語化しにくい魅力を湛えたものを選んだつもりだ。
【最特選】
生きるにはふるさとを欲り夏蜜柑
【特選】
海松色の池も建国記念の日
衰へてよりおそろしき夕焚火
鹿威だんだん忙しくなりぬ
風邪声の子が深爪を見せにくる
並選三十五句
ひさかたの雨を抱きたる梅の花
桜蘂降るや未完の海ばかり
亀の子の背にさびしらの星の柄
水澄むや山岨(やまそは)に風ゆきどまる
関節を漂はせたる柚子湯かな
塔を組む重機つめたし猫の恋
はつ夏や手首をあをき血のながれ
烏賊切つて置きどころなき手となりぬ
血の記憶ありさうな孑孒ばかり
翡翠のさざなみに触れ月に触れ
人日やケバブは回りつつ瘦せて
雁供養沖は紅茶のごとく揺れ
苗札やまぼろしの蝶ならば追ふ
濡れてより長屋のにほふ雪解かな
みづうみは櫂を拒まずえごの花
無患子や湖のあぶくのいつか消え
あらかたの看板あはき氷湖かな
ひとしづくほどにひひなの灯をともす
うつくしき嘴にかひろぐ春田かな
残雪も吐き出す火山かと思ふ
菜の花のあざあざ濡れてゆく町よ
夏服や海は楽譜のやうに荒れ
離るれば都心まばゆし栗の花
さやけくて母を起こしにゆくところ
煩雑に帆のたちあがる文化の日
鎖が匂ふ十一月の公園は
悴むや醬油の色のうすあかり
白梅や水脈はかがやきつつ途絶え
虫籠を湖の暗さの物置より
自転車に胴体のある夕焚火
ひとこゑに夜の満ちてくる酉の市
あかときの湖は墨色紙衾
蒲公英にまみれてゐたる消火栓
実柘榴や触れればくづれさうな家
傘は雨をわづかに許し草の花
所感
先述の通り、非常に技術水準の高い句集だと思う。言葉遣いも、平明でありながらどこか雅さへの希求を感じる。跋文における佐藤郁良氏の「華やかな措辞に逃れず、無骨だが確かな手触りが感じられる。」という言及は必ずしも的を射ているようには思えない。その一方で佐藤氏は本句集の「上質な叙情」にも言及しており、その点について異論はない。叙情を達成するために最適な文体を探り当てようとする姿勢、これこそが本句集全体を通じて感じ取れたものだった。
橋本喜夫氏のレトリックに対する言及は非常に興味深く、本句集の孕む危うさにも納得してしまった。とはいえ鈴木氏に相当な技量があることは確かで、季語の本意と共感性を軸とした技術修練は今後も怠るべきではないという、月並みではあるが大事な学びを得た。
(私は気を抜くと自分勝手に書いてしまうという悪癖があるので、そこはどうにか治していきたい…)