やりたくないことをやらない
人ってやりたくないことをずーっと何時間も何日も何年もやってられるんですよね。
私もです。本当に不思議。
そのエネルギーあったら、一回やりたくないことをやりたくないって言ってみて、やりたいことをやるべきなんです。
・・・ってそんな簡単じゃないですよね。わかってます。
私もやりたくないことをやってきました。しかも、誰にも求められてないのに。自分に課していただけ(もったいなさすぎるその時間!)。
自分の都合で人の誘いを断ってはいけないし、頼まれたことはよっぽどの理由がない限りすべてやらなければいけない、と思っていました。義務感や恐怖や世間体から、小さいところでたくさん我慢して、やりたくないことをやっていました。
例えば、友だちにご飯に誘われたとき、ちょっとくたびれてるから家で休みたい、と思っていても、それを理由に断るなんて考えられませんでした。
友だちとご飯に行くとき、自分が食べたいものがあっても、人が食べたいものを先に聞いて、それに合わせてレストランを選んでました。
そんな小さな無理を続けていたら、思ったよりも私の身体にダメージが来ていて、精神的に限界が来てしまいました。何もやる気が起きなくて、どこにも出かけたくなくて、人と関わりたくなくなってしまったんです。
そこで、やりたくないことは素直に「やりたくない」って表現し始めました。私なりにはすっごく大きな変化だったから、ドキドキでした。私の精神が限界まで来ていたので、もう溢れ出るようにNOと言っていたんだけど、驚いたことに周りは私の変化に気づいてさえいないようでした。周りの人は、何も変化がなかったかのようにいつもの反応でした。
今まで私何を我慢して来たんだろう??
誰も私の我慢を求めてなかったってこと??
と混乱しました。ほんとに何をしてたの?笑
私は、やりたくないことをやりたくないって言ったら、人に迷惑がかかるんじゃないか、わがままって思われるんじゃないか、とか色々怖かったんです。
だから、やりたくないってはっきり言う人を見ると、「それくらいやりなよ」「人に迷惑がかかるよ」って思ってました。そういう人をわがままって思ったり、苦手としていたのは、私でした。
その頃は、人の期待を勝手に想像して応えようと行動していました。なので、自分が本当は何がやりたくて何がやりたくないのかもわからなくなっていました。でも、NOと言いだしたら、少しずつ自分のことがわかって来ました。
あ、これ好きだったんだーとか。これ、好きと思ってたけど、実は好きじゃない。人に合わせてただけだわ、とか。
やりたくないことをやらなくなったらこんな変化がありました:
・人生に嫌なことをする時間がなくなる
・幸せな時間が増える
・自分が我慢していないから人のことにも寛容になれる
・自分が何をしたらもっと楽しくなるかわかる
・とにかく楽
などなど
今も、もちろん人に合わせることもあるし、我慢することもあるけど、無意識に人に合わせてしまうことは、ほぼなくなりました。我慢するときは、自分で意識し、認識して我慢するし、そこに外的な理由(世間体とか義務感とか)は入ってこなくなりました。
元々の性格も相まって、「やりたくないことをやりたくないとはっきり言う人」には割とすぐなれました。笑 最近は「芯があるよねー」って本当によく言われて、芯が強すぎちゃってるのかも。竹のようにしなやかになりたいです。
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