機械式Calculator(計算機)の色々

現在は、電池があれば何でも動く製品が存在するので、計算機なんて不要という人も多いだろう。

もし、世の中から電気製品が消えたらどうする?

Dr.STONEじゃないけど、もし、原始時代に逆戻りしたら、算盤そろばんを知らない人達は不便になるよね。

ポケットタイプの手動式計算機が存在する。

こちらは、マジック・ブレイン(奇術頭脳)という名のカリキュレーター(計算機)で、100万の桁数まで計算できる優れもの。

電卓のない時代、商売の交渉時に利用する計算だったりするので、海外では爆発的なヒット商品だったらしい。

開発した日本国内においては、算盤そろばんを小学生の頃から学習してる事もあり、一部の人達の間で重宝された程度の商品だった。

1万円くらいの価格だったらしい。

こちらは、タイガー計算機。

電気が普及する前の戦前の計算機で、この計算機を使用して、Dr.STONEでもあったように、電波の発信と反射波を計算して、距離を割り出すというような事を実際に行なっていた。

大砲等の弾道計算などにも用いられたらしい。

このシステムをモーターで電動化した物が、モンローというメーカーの機械式計算機。

機械式計算機の仕組み自体は、手動式も電動式でもどちらも仕組み的には変わりない。

モンロー計算機では、手回しの部分がモーターの駆動による自動化されており、複雑な操作を必要としない為、手動式よりも早く正確に計算できる。

突起を出し入れしてギヤを回すというアイデアも凄いけど、こんな複雑な仕組みを考える人間の脳も凄いよね。

10進数で区切られているのも素晴らしい。

2進数で16進数を扱った方が、計算的には楽だと思うんだけどね。

0‐Fの単位を16個の突起のギアで管理し、中の計算の際には2進数を使って入力と答えを10進数で返すという、現在の計算機の仕組みと同じすると、もっとコンパクトにできる。

回転数で処理できるので、0と1の回転数の数で計算が可能になるので、10進数の機械式計算よりも更に早く処理ができる。

日本の通貨単位なんて、江戸時代は 1/4 単位で位が上がる貨幣だった。

つまり、4進法ということ。

金1両 = 4分 (分銀)= 16朱(朱銀) = 4,000文、1朱銀一枚が 250文という事になる。

日本という国は世界でも珍しく語学教育が行き届いており、識字率においても町人が普通に新聞を読めるほど文化が発達しており、民衆間の情報共有が行き届いていた。

江戸時代なんて、ヨーロッパでは普通に奴隷制度があったくらいだから、日本はそうした意味では、真面だったんだじゃない。

しかも、江戸時代の日本は、世界一の軍事大国だった事を日本人は知らなかった。

日本は独自の文化や語学が発達していたこともあり、多くの外国人が驚いている風刺が残っている。

ダニや疥癬のような皮膚病を除けば、一部の淋病などの性病と梅毒などによる感染症はあったみたいだけどね。

天然痘や麻疹はしかを除けば、結核の流行も外国人がやって来るまでは日本では流行病としては広がっていなかった。

日本人は色々なモノに興味を示し、独自の文化を作り上げる。

特にミシンや機織はたおりの機械技術が発達しており、紙においても独自の製法で和紙を作る技術を確立してる。

特にミシンにおいては、紡績産業が一次世界大戦後の復興期に活躍したおかげで、日本は多くの外貨を稼いでいる。

日本の機械に対するシステムの考えは、戦後も独特の進化を遂げており、トヨタ・スポーツ 800 などのトランスミッションにおいては、構造が複雑過ぎて、現代のアイシン精機の人達がレストレーションする際に、勉強になるというほど構造が複雑に出来ている。

構造が複雑という事は、壊れやすいんだけどね。

構造がシンプルな物ほど、機械部品は壊れない。 

量産化もしやすい。

計算機だけでも、これだけの物を造っていたという事です。

特に冒頭で紹介したマジック・ブレイン・カリキュレータは、二枚のスライド板を使用して位の単位を変える構造になっていて、シンプル・イズ・ベストでありながら、正確に計算が行なえるという事で、海外ではヒットしたらしい。

未だにエンジンなどの構造の多くは、電子部品に頼らないモノも多いので、特に船舶などのディーゼルエンジンは、機械式の直噴燃料噴射装置を使用している。

始動時は、圧縮空気を使って稼働する。

ギヤを使ったタイミングの合わせ方やグロープラグのような始動時の焼玉の代わりの燃焼システムなど、変わらない技術が沢山存在する。

機織機もそうだけど、シンガーミシンなどでは、昭和中期の裕福な世帯には必ずあったセーターの編み機。

ちなみに、僕の家には物心がついた頃に、ミシンや編み機があった。

母は手芸を親戚(父方の祖母の姪、父の従姉)の家に、習いに通っていた。

こうした機械の重要性を大人になって、理解できるようになった。

機械の重要性と電動に頼らずに、手作業で機械を動かすというシンプルな産業構造に戻った方が、実は社会経済の在り方としては、ゆっくりと大量生産大量消費の物流から離れて、違った価値を見出せるようになる。

電動でも使うけど手動でも使える、足ふみ式のミシンのような機械は、今後も産業を維持する中で、古い文化を残した方が良いと思う。

日本人って、ある意味、本当に様々な物を造っていて、培った経験に関しては、トライ・アンド・エラーと長い年月掛けて熟成した技術が当たり前になっている。

中国がどれだけ産業が進んだと言えど、自動車のエンジンとトランスミッションを製造できない代わりに、電気自動車(EV)が主流になってる。

それだけ、特殊な素材の製造時の焼き入れ技術や摩耗に対する合金の調合が難しいという事を著してる。

特にベアリングの耐摩耗性に関しては、世界中の企業が日本製のベアリングや自動車用のスピードセンサー、トランスミッションを利用してるように、機械という構造物の素晴らしさを理解する必要性がある。

アメリカの商品からヒントを得て、更に扱いやすく進化を遂げるのが、日本のプロセス・イノベーションを凄い部分だったりする。

近年の特殊な技術を除くと、プロダクト・イノベーションは余りないんだけどね。


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