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「裏切らない」とは「いつも味方」でいること。
そろそろお盆休みムードも終わってきて、通常運転のこの頃。
少しずつ、仕事の忙しさも加速してきました。
今日は仕事の後輩のふとしたお悩みを聞きつつ、
そこから、ヒントを得てふと降りてきた話を。
ちなみに、後輩のお話はちょっと男女がらみのお話だったのだけれども、
往々にして、恋人やパートナーがほかの人と関係を持ったりすると
「裏切った」という表現が良く使われる。
でも。
裏切ってはいないと思うんだよね。とても違和感を感じる。
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なぜなら、
その人の「いちばんの味方である」ことは変わっていないから。
だんな氏とは同じ仕事もしているし、一緒に暮らしている。
でも、
いつかは離れることもあるかもしれないし、今のままで他に恋人もできるかもしれない。
でも、それは裏切りではない。
だって、彼の味方でなくなったわけじゃいないから。
でも。
その「味方」をやめてしまったら、それこそ「裏切り」なんだと思う。
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今年に入って、かつて恋人だった人たちと連絡を取り合うことが増えた。
ひょんなことからご縁があって。
ああ、そうだなぁ…
彼らは「今でもわたしの味方なんだ」と実感させられる。
色んなことを一緒に経験してきたからこその言葉ももらえる。
そして、わたしも彼らの味方である。
だんな氏はそんなわたしの味方なのだ。
だから嫌がらないし、認めてくれる。
そう考えると、わたしは人を裏切ったことはないと思う。
手のひら返して誰かの敵になったことはないなぁ。
そもそも、敵味方っていう考えがあまり好きでないけれど。
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