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年越しの大ドジ(醒睡笑)

 今年最後の更新ですね。というわけで、今日は大晦日にまつわる古典を。

 今回はちょっと時代が下って江戸時代。落語の元ネタもたくさんある『醒睡笑』からの逸話。

怪しからず物毎に祝ふ者ありて、与三郎といふ中間に、大晦日の晩いひ教へけるは、「今宵は常より疾く宿に帰り、明日は早々起きて来たり門を叩け。内より『誰そや』と問ふ時、『福の神にて候ふ』と答へよ。すなはち戸を開けて呼び入れん」と、懇ろにいひ含めて後、亭主は心に懸け、鶏の鳴くと同じやうに起きて門に待ち居けり。
案の如く戸を叩く。「誰そ、誰そ」と問ふ。「いや、与三郎」と答ふる。無興中々ながら門を開けてより、そこもと火を点ともし若水を汲み、羹をすゆれども、亭主顔かほの様悪しくて、更に物いはず。中間不審に思ひ、つくづく思案し居て、宵に教へし福の神を打ち忘れ、やうやう酒を呑む頃に思ひ出だし、仰天し、膳を上げ、座敷を立ち様に、「さらば福の神で御座ある。御暇申し参らする」というた。

【内容】
ことあるごとに縁起を担ぐ者がいた。雇っている与三郎という召使いに、大晦日の晩にこう教えた。

「今夜はいつもより早く宿に帰って、明日は早く起きて来て門を叩け。内から『誰だね』と聞いたら、『福の神でございます』と答えよ。すぐに戸を開けて呼び入れよう」

と、入念に言い含めた。亭主(=縁起を担ぐ者)は福の神役の与三郎がいつ来るかと気にかけて、ニワトリが鳴くと同時に起きて門の前でスタンバイしていた。
思った通りに与三郎が戸を叩く。亭主は、

「誰だ、誰だ」

と尋ねる。与三郎は、

いや、与三郎

と答えた。亭主は興ざめしながらも門を開き、福の神(役の与三郎)をおもてなしする為に、火をつけて若水(※元日の朝に初めて汲む水)を汲み、雑煮の用意を始めたが、終始機嫌悪そうで、何も言わなかった。
与三郎は亭主の様子を怪しく思い、よくよく思い返してみて、昨夜教えられた福の神のことをすっかり忘れていたのを、ようやく酒を呑む頃になって思い出し、びっくりして、膳を片付け、座敷から去り際に、「では、福の神です。お暇申し上げます」と言った。


……と、いう話。
笑いどころはお分かりいただけましたでしょうか。

この亭主がそもそも何をしようとしていたかというと、使用人の与三郎くんに福の神役をしてもらい、元日の朝イチに「福の神が来たよ!」と言って家に来てもらって、それをおもてなしすることで、縁起を担ごうとしたわけですね。

わかりやすくいえば、福の神ごっこというか、縁起のいい劇というか、「見立て」ってやつですかね。
お祭りで、神様役の人が神輿に乗るのに近いかな。

書いてないけど、ここまでこだわる亭主のことだから、与三郎を選んだのは年男だったとか、なんか縁起が良かったのかもしれないですね。

しかしこの与三郎がうっかりやさんだった。

「福の神でーす」と言わなければいけなかったのをすっかり忘れて、「誰だ?」という問いかけに、フツーに「あ、与三郎ッス」と答えてしまった。
これでは、福の神じゃなくて、フツーに与三郎くんが訪ねてきただけである。

だから、亭主は不機嫌になったわけだが、一応当初の予定通りにおもてなしはする。
与三郎は、

(今日の旦那さん、なんでおいらにこんなおもてなししててくれるん……? しかも何故か機嫌悪いし……)

とか思ってたのかもしれない。
で、一通りご飯食べ終わって、食後のお酒タイムになってから、与三郎くんはようやく

(やばい!!!福の神って言えって言われとった!!!)

と、気がつくのである。
そして、慌ててお膳を片付けて、座敷を立つときに、

「じゃ、福の神でした! お暇させていただきまーす!」

と、余計な一言を言って退場するのであった。

縁起を担ぎたい亭主としては、「福の神にお暇」されては困るのである。このあと亭主がガックリしたのは容易く想像出来ますね! というオチ。

この話は、「福の神役をもてなして縁起を担ぐ」という前提情報を理解してないとピンと来ないが、それさえわかれば上手くまとまってて好きですね。
ちなみにこの話はオチ的に縁起がいい話ってわけでも無いので、お正月にやるよりは大晦日に紹介しておこうと思って今日にしました(笑)
すまんね亭主!

狂歌もだけど、江戸時代の文学はユーモアがあっていいと思います。
では、今回はこの辺で!

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皐月あやめ
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