筑紫萬葉かるたと防人の歌
以前、確か九州に行ったときにお土産として買った「筑紫萬葉かるた」というかるたが出てきた。まだ未開封だったので、この機に中を確認してみた。
これは、筑紫地方にまつわる万葉集の歌から選出した51首が収められている。箱のサイズも、確かに百人一首の半分くらいだ。なんとなく装丁からも百人一首のイメージで考えていたが、百人一首とは違い、同じ歌人の歌が複数収録されている。地域ゆかりの歌を集めているので、自然と大宰府での役人歴がある歌人の歌が多めになっており、同様に防人(さきもり)の歌も多い。
「防人」は北九州の防備のために諸国から徴収された兵士たちのことである。テスト頻出単語なので、教科書に載っていたのを覚えている方も多いのではないだろうか。
防人は国の政策で駆り出されていたわけだが、その強制力のわりに、残された家族へのフォローはなく、装備も自前で用意する必要があったなど、当事者目線ではかなり厳しい制度だったようだ。
家族との別れの場面や、別れた後の悲しみを詠んだ歌が多く、父や母のことを詠む息子の歌などは、どこか特攻隊の手紙も彷彿とさせる。
かるたをめくっていて、この歌で手が止まった。
この歌は、私が小学生のときにはじめて触れた万葉集の歌である。
それは、中学受験用の社会のテキストで、日本史の「万葉集」の項目で、「万葉集の歌は万葉仮名で書かれていた」という説明の具体例として挙がっていた。
万葉仮名では、
可良己呂武 須宗尓等里都伎 奈苦古良乎 意伎弖曽伎怒也 意母奈之尓志弖
と書くらしい。暗号のようだが、音読みでぎりぎり読める気もするのが面白い。
ちなみに韓衣(からころも)を「からころむ」と書いているのは、「間違い」とする説もあるが、方言の発音によるものという説もあり、後者なら興味深いと思う。
かるたではおそらく読み札として使いやすいように「ぞ」となっているが、古語では濁点や半濁点は読むときにはつけるけれども書く際に表記はしないという決まりがあるため、「曽」は「そ」である。
歌の意味としては、「裾に取り付いて泣く子たちを置いて出てきてしまった。その子たちの母もいないのに」というもの。
防人として旅立つというときに幼い子供たちが「行かないで」と裾に取り付いて泣いていたが、行かないわけにはいかず、泣く子たちをそのまま置いて出立してしまった。子供たちの母親はもう亡くなっていていないから、両親がいなくなってしまうことになる––。
小学生のとき、はじめてこの歌を読んで衝撃を受けた。一人の防人の目線から書かれた生々しく悲しいこの歌で、一気にその時代のその時まで飛んでいって、別れのシーンを目の当たりにしているような感覚になった。まるで、裾にすがりいて泣きじゃくる子供たちを一緒に俯瞰しているような気持になる。「防人とは九州地方の防備のために徴兵された人たちのこと」と言われても、「ふーん」で終わってしまうけれど、この歌を提示されて、それがどれだけ悲しいことだったかを追体験した気がした。
もちろん小学生だから、古文のままでは何を言っているのかは全然わからないし、書いてある現代語訳を真正面から受け止めたわけであるが、この歌は本当にすごいのである。
まず、出だしの場面がすでにドラマチックだ。「からころむ 裾にとりつき 泣く子らを」と、子供たちが裾に取り付いて泣いているところから始まる。「韓衣」は袖や裾にかかる枕詞で、飾りのようなもののため、言葉自体に意味はあまりないのだが、「からころむ」と書かれると、私はなんとなく「絡む・絡みつく」みたいな印象を受けた。これは、「からころも」と書かれていたら感じないことだと思うので、この歌の場合は「からころむ」がぴったり合っていると思うのである。
そこへ「置きてぞ来ぬや」と来て、これだけで十分悲しいのに、「母なしにして」と、もう一段深い悲しみを落としてくる。読んでいて、こんなに打ちひしがれることがあるだろうか。
さらに、「妹(=妻)」ではなく、「母」としてあるのがまた悲しい。「妻」でも意味は変わらないが、「妻はいないのに」とすると、防人一人分の目線で完結した物語になる。「母」としてあることで、両親がいなくなってしまう子供たちの目線の悲しみも同時に表現しており、子供をそういう状態にしてしまう防人の悲しみも立体的に立ち上ってくる。しかも、この別れの場面以前に、この家族が母を失ったときの悲しみも想像することができるわけで、この防人の悲劇が「家族の悲しみ」として奥行きを持つ。
「防備に徴収された」というところから、庶民を想像していたので、枕詞の知識含め、「庶民にこんな教養のある感じの歌が詠めるのか?」と思った。というわけで、手元にある角川ソフィア文庫の『万葉集 四(伊藤博 訳注)』の該当部分も確認した。実は新元号が令和になったときに文庫で万葉集をそろえたがなかなか精読する機会がなかったので、今回参照できてよかった。
この歌の詞書には、「右の一首は国造小県の郡の他田舎人大島」とある。(余談だが、「ほかいなかのひと」と打って変換しているのでちょっと申し訳ない気持ちになる)
ん? 造(みやつこ)ってそれなりに偉い人じゃなかったっけ。と思って確認したところ、国造(くにのみやつこ)とは、主に豪族がつく役職とのことで、やはり偉い人でも徴兵されていたということらしい。しかも幼い子の片親という事情がある人なのに免除されなかったというのは本当に厳しい。
文庫の脚注によると、
・子を思う歌は防人歌の中ではこの一首のみ。
・小県は長野県上田市周辺
・国造の家から出た防人は防人の中で最上級
ということらしい。
子を思う歌が少ないということは、徴収されたのは家族の中でも自分が「子ども」枠に入る若者が多いのではと推察される。そんな中で、「母なしにして」と残された子を気にかける歌を詠む大島さんは、少し浮いてさえいるのだろう。しかし、この歌からは子への愛情がひしひしと伝わってくる。おそらく妻を亡くしたあともシングルファザー(自分の父母はいたのかもしれないが)として、子供たちに愛情をもって接していたのだろう。たとえば彼が普段厳格な父で、仕事を優先して家庭を顧みないタイプだったら「裾に取り付き泣く子」という状況や描写はなかなか出ないのではと思うのである。もちろん、今生の別れになるかもしれないから、子供たちも普段とは違うかもしれないが、やはり普段から大好きな父だったからしがみついて「いやだ」「行かないで」と泣いたのだろうと想像できる。
この「韓衣」の歌には物語がある。この歌一首と少しの歴史的背景で、ドラマが作れてしまうくらい。
どうして「万葉仮名」の例としてこの歌が採用されるようになったのかの経緯はわからないけれど、小学生のときにこの歌を知れてよかった。もしかすると、古典に興味がわいた要因の一つと言っても過言ではないのかもしれない。
そんな思い出とともに、新しい視点でこの歌を見つめなおすことができたので、「筑紫萬葉かるた」を紐解いてみてよかった。(今回開けるまで新品のまま置いていたので)
来年のお正月はこれで実際にかるたをして遊ぼうかな。