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学パロで『新撰髄脳』④〜両方はできないときの優先順位編〜

前回はこちら。

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心すがたあひぐする事かたくば、まづ心をとるべし。つひに心深からずば、姿をいたはるべし。そのかたちといふは、うちきゝきよげに故ありて、歌ときこえ、文字はめづらしく添へなどしたる也。
(古典文庫 『公任歌論集』より引用)

と、いうわけで。今回は、「心も姿もどっちもは難易度高いよー」という人に向けてのアドバイスです。

 両方が無理なら、「」を優先するように!と、公任さんは言っています。
 カンタンに言えば、中身が大事ってことです。多少拙くとも、言いたいことを詠めていれば歌として上々ということでしょうか。

 でも、もし「言いたいことを深められなければ」。たとえばテーマが漠然としていたり、独創的なものじゃなかったり……と言った感じですかね。
 そんなときは、「姿」に気を使え、と言っています。
 優先順位はあるけど、最優先事項がダメなら次点に切り替えようという、理想だけに縛られない考え方です。

 しかも、「姿に気を使えと言われてもどうすれば?」という疑問に答えるかのごとく、具体的にどういう形を目指せば良いのかまで示してくれています。
 昨日の「音」の話にも関連するのですが、よい「姿」というのは、

・聞いたときに耳触りが良い

・歌に聞こえる

・言葉の取り合わせがめずらしく、面白い

 この三点をおさえよう、と公任さんは言っています。

 「和歌」は「歌」なので、音楽……音が心地よく聞こえるものが優れているという考え方でしょうか。

 考え方を切り替えよう! だけでなく、具体的にはこうするといいよ、というところまで教えてくれる丁寧さが素晴らしいですね。

 「心」について具体的な解説がないのは、形式の「姿」と違って、ハッキリとした正解がないからかなぁと私は思います。
 やはり「心」は感じるものなので、それぞれの価値観によるところであり、公任さんから「これが心の正解」と示せる情報は無かったんじゃないかと思います。もちろん、公任さんの中の「正解」はあったと思いますが、人にそれをそのまま提示するのは違うと思ったのかなと。
 「姿」については惜しみなくテクを教えてくれているし、この先も結構具体的に教えてくれるので、出し惜しみしている訳では無いと思います。「うつくしい形式」は、「デキル」歌人の共通事項のような感じだったのではないかと。

 自分は天才歌人だけれども、「出来ない」気持ちにも寄り添ってくれる公任さん。次回もそんな「出来ない」悩みにアドバイスをくれます。

 次回、「それでもダメなときの奥の手編」。頑張って明日も更新するので、ぜひ見に来てください!


追記:
次はこちら


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皐月あやめ
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