【読書】多重債務者49人の告白を読んで思ったこと。人間の価値とは。
本を読んで思ったことを綴っています。今回は「実録 借金地獄からの生還 多重債務者49人の告白」を読んで、人間の価値とは何かを考えます。
タイトル「実録 借金地獄からの生還 多重債務者49人の告白」
今回の本は、全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会の著書で、1997年に出版されたものです。クレジットやサラ金の多重債務者がどのように借金地獄に陥ったかが告白されています。また、どのように救済されたかも記されています。
少し古い本です。なんでこれを読んだかはさておき、読むと当時の日本の状況がありありと目に浮かんで興味深く、また学ぶこともありました。
1997年の日本
今から約25年前のこの年、日本はバブル崩壊後の不景気真っただ中でした。山一證券が自主廃業したのもこの年です。
日経平均株価は1989年に史上最高値3万8千円を記録しました。これをピークに値を下げ、1997年には2万円を割っています。バブル期の自己破産件数は年間約1万件→6万件に激増。
なお、当時「今が底」という前提で書かれた本と思われますが、現実にはこの後、2006年に自己破産件数は25万件まで増加します。ちなみに2019年の自己破産件数は7万件。
また、当時は年30%~40%という高金利。現在は18%です。これはこの時代の大きな特徴だったと思います。不景気だと、貸金業は儲かるんですね。
多重債務者の告白
特に印象に残った告白を挙げると
家族4人で暮らしていた1990年のある日、不動産屋が訪れ、一戸建てを勧められて購入。数年後会社をクビになり収入が半減。自己破産。(50歳会社員)
欲しいものをカードで買っていたら、次第に返済が厳しくなった。彼氏にお金のあるフリをするため借金をし始め、気付けば6社200万円に。月の返済額は30万円になっていた。(22歳OL)
1990年に一戸建てを買う、という話から、それまでの好景気に慣れてしまい、不景気の兆しには楽観的になっていた様子が伺えます。買わせる不動産もどうかと思いますが。実際には、おじさんが家を買った後、20年以上不況になるわけですが、歴史は後になってみないと分からない、ということです。
また、OLさんの「お金があるフリ」は、現代でも多いのではないでしょうか。借金があると思われたくない。借金を隠すために借金をする。そういう心理がいつの時代も存在する、ということです。
人間の価値とは
これを読むと、なぜ人はこんなにもお金に振り回されるのか、と感じます。人間の価値はお金の有無では決まらない。多くの人がそう思っているはずです。しかし、お金が無いことは恥ずかしいことなのか。人間の価値は、いったい何で決まるのか。
そう考えていった末、人間には2つの価値があると思いました。
ひとつは潜在的価値。生まれながらにして持っている、人生の時間(寿命)という価値。これは、いつ死ぬか分からないという前提では、人類平等と言えます。また時間なので、客観的に測れます。
もうひとつは、顕在的価値。潜在的価値を使って、自分で生み出す価値。この価値は、主観的なもので、測れるものではありません。
潜在的価値は生まれながらに受け取っています。顕在的価値は、人に与えていく価値です。ギブアンドテイクの関係です。
潜在的価値は寿命なので減る一方です。顕在的価値は生み出していくものなので、増えていきます。ただし、人生のすべての時間において価値を生み出していく、ということは難しいので、減った分だけ増える、とはなりません。そして、潜在的価値は客観的な時間ですが、顕在的価値は主観的なものなので、どれだけ増えたかは、その人の考え方によって変わります。高価なニットをあげるより下手な手編みのほうが良い、みたいなことです。
人間の価値とは、その時点における潜在的価値と顕在的価値の合計です。
「誰よりも価値のある人間です」と言えるかどうか
人間は生まれながらにして「寿命」という潜在的価値を持っています。赤ちゃんには無限の価値がありますが、人生が進むと減っていきます。
同時に、新しい顕在的価値が生み出されていく。人生が経過する中で、どれだけの価値を生み出し、人に与えることができたか、それが人間の価値の差ではないでしょうか。そしてそれは客観的に測れるものではない。
私はこの本を読んで、人生の最後に、「自分は誰よりも価値のある人間です。」と言えるようになりたいと思いました。そのために、できるだけ多くの時間を、価値を生み出すための時間に使っていこうと思いました。
スティーブ・ジョブズに比べたら、経済的、社会的に生み出した価値では負けたかもしれないけど、人間としての価値は負けてないぞと。
そういう人生を送りたいものです。
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