はんぶんこのバナナ

 「なんで食べないの?」
 2017年秋、わたしはずっと悩んでいた。
2017年2月に生まれた息子はおっぱいが大好きで、一般的に離乳食が進んで授乳が減るとされる8ヶ月くらいでも1日に9回は授乳していた。そしてとにかく食べないのだ。朝食はがんとして食べず、それでも昼食や夕飯は少し食べて、すぐに食器がひっくり返される。頭の先からつま先までごはんにまみれ、食事の後は着替えが欠かせない。食べないからお腹が減って泣くのか、泣くなら食べなよと何回思ったかわからない。離乳食の時間が憂鬱で仕方なかった。

 そんな時、育児の息抜きに趣味である読書ができるようになった。出会った本は「みをつくし料理帖」。久々になにかにハマった私は息子が寝ている隙にどんどん読んだ。その中でとても素敵な言葉に出会った。

 「食べる、というのは本来は快いものなんですよ。」
 「まずはあんたが美味しそうに食べてみせる。釣られてつい、相手の箸が伸びるような、そんな快い食事の場を拵えてあげなさい。」

 主人公である澪が、麻疹に罹った近所の男の子・太一に食事を摂らせようとするも嫌がられだ時に、お運びのお婆さん・りうさんに諭された言葉だ。
 太一を叱責し、匙を口に無理やり入れようとした澪は間違いなくわたしの姿だった。太一に泣かれて、一緒に泣きたくなった澪の姿もわたしだ。

 この言葉に出会ってから、肩の力が抜けたように思う。大人だって食べたくない時はあるし、まだ生まれて何ヶ月かしか経っていないこどもからしたら、「食べる」ってすごくパワーを使うことなのだ。食べたくなったら食べてくれるよね。

 それから息子は、何がきっかけだったかも今では忘れてしまったが、少しずつではあるがごはんを食べてくれるようになった。母の気が抜けてイライラしていないことが伝わったのかもしれない。当事者であるわたしがよく覚えていないんだから、夫や私の母は「この子に食べない時期あったっけ?」と首を傾げられる大食い男子へと成長した。彼は3歳にして、某うどんチェーン店のかけうどん(並)をひとりで平らげる。今から思春期の食費が恐ろしい。
 相変わらず授乳は一歳になって断乳するまで1日に何回も続いたが、育児にはこうした「気分」や「時期」に振り回されることがよくある。わたしがそんな変化を笑っていられるようになったのは、まだまだ未熟ではあるけどもうすぐ母になって4年が経つからだ。

 そして、2020年3月には娘が生まれた。現在10ヶ月の娘、これがまたよく食べる。分娩台の上でのカンガルーケア中も上手に初めてのおっぱいを吸ってくれ、助産師さんを驚かしていたが、離乳食が始まってからもありがたいことに毎日完食し、親や兄の食べ物も物欲しそうに見つめている。
 当たり前だが、同じ親から生まれても、一人ひとり全く違うことに、2人を産んで育ててみて改めて気づいた。そして不思議なことに、娘がたくさん食べてくれるたび、4年前泣きながら作った離乳食を捨てていた自分が成仏するような気持ちになるのだ。「食べなくても大丈夫」「いつか食べるようになる」とは言われても、自分で作ったごはんが捨てられてしまうのは、やっぱり悲しい。

 ただ、娘がよく食べてくれるのは「本人の資質」だけではないと思う。

 なぜって、彼女の傍らには、自分が食べているバナナを半分差し出してくれる兄の存在があるからだ。わたしは、息子と娘が並んではんぶんこにしたバナナをおいしそうにほおばる姿にたまらなくしあわせを感じている。
 これからは家族で楽しい食卓を囲むことはもちろん、大好きなバナナを半分こにするような、子どもたちの優しい気持ちも一緒に育んでいきたい。
 

引用:「みをつくし料理帖 花散らしの雨」p198-199 髙田郁 株式会社 角川春樹事務所

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