「知ろうとしてくれる」それで十分
“共感”と言う言葉が好きじゃない。
共感のワードの一つ
「分かるよ」
これが、本当にしんどい。
多くの場合において、それは善意によるもののように思う。
「あなたの気持ち、分かるよ」
「それって私も経験あるけど。大変だよね」
自分を励まそうとしてくれているのだろう。
だからこそ、その善意があるからこそ、その言葉は時に凶器にもなる。
その“分かるよ”は、きっと分かっていない。“分かっている”ことにされている。
自分の感じているあるもやっとした感情が、勝手に姿形をその人の思っているように変えられてしまっている。
善意による共感は、“かなり”否定がしづらい。
だからこそ、タチが悪い。
「あなたの気持ちって、違っているかもしれないけど、こんな感じ?」
「それおれもけいけんあるんだけど、あ、でも俺とは色々と条件も違うし一緒かどうか分からないけど、結構やっぱり大変な感じ?」
相手の考えを自分の考えに押し込めて考える共感から、少し離れて表現しようとすると、どうしたって言葉が冗長になる。
けれど、気遣いとはそんなものなのかもしれない。
わかってくれなくて全然構わない。
むしろ、わかってなんてくれなくて良い。
けど、「訳わかんない」と突き放されるのは、それはそれで悲しい。
「知ろうとしてくれる」
その気持ちが少しでも感じられれば、それで十分なのである。