【雑記】女性の社会参画のための、男性の教育の必要性
新しく『理科の教育』という雑誌(!?)を定期購読することにした。
一人で考えても新しいことはなかなか出てこない。
一から作り出すのも難しい。
ならば関連書籍から、関連情報や最新情報を得て、
それを自分の日常(仕事)に落とし込む。活用する。
「学ぶことはマネぶこと」
まずは真似て、そして私の血肉にしようと常々考えている。
さて、それはいいとして。
定期購読を頼み、最初の一冊が到着した。
早速読み始めてみた。
と同時に、私に引っかかった言葉というか文章が早速出てきた。
「・・・だらしのない男性の傾向として、そのサポート体制の大切さも立ち位置もわかっていないのに加え、優秀な理系女性の社会参入を否定するような悪い同調・伝統があると感じている。・・・(中略)・・・我が国の教育は、昔のような「女性が男性の下支えとなること」を促すものでなくなって久しいはずだが、「優秀な女性を下支えすること」のできない男性がすぐ自分の弱みを隠して威嚇する傾向はテレビ・新聞レベルですら直っていない。それが、自分たちのみならず次世代への優秀な子孫を残すことへの大きな障害にもなっているのではないだろうか・・・」
理科教育とは関係が薄い内容かもしれないが、私がずっと考えていた女性の社会参画に関する提言・意見で、この文章で今月号を読むのを止めた。それだけ気になった、気に留まった文章だった。
私は現在女子校に勤務している。そこでは当然男子がいない環境で女子生徒が自分たちで何から何まで考え行動する様子を常に目にしている。共学校とは違う女子生徒の動きというのを日々感じている。
そしてしばしば「女性の社会参画」についての話が行われている。それらを見て、女子生徒に対してしっかり自分の考えを持ち社会に出てほしいと考えていたものだった。
が、しかし、
今回目に留まった言葉は、その考えを考え直すきっかけとなった。
女性が動いても、男性がこの提言にあるような社会であれば、女性はのびのびと活動することはできないのではないか。女性が活躍できる場を、社会を作るためには男性を教育しないといけない、意識を変えていかないといけないのではないか。そう強く思うようになった。
ちょっと話は変わる。
ある漫画に描かれていたことであるが、欧米ではいじめがあったときには、いじめたほうが何か精神的な問題を抱えていると考え、いじめているほうをカウンセリングするらしい。日本はいじめられたほうをケアしますよね。
専業主婦に対して「主婦は家にいて楽でいい」という男性がいる、という話を聞くが、主婦が楽だと思うなら、そういう男性が主夫をやればいいのにと思う。実際にやる人は少ないだろうし、やってみるとその大変さがわかる。
イクメンという言葉がある。育児に精を出す(!?)男性を指す言葉だが、男性と女性の間に子供が生まれたわけで、育児に男性も女性もないのではないのだろうか。
届いた「理科の教育」最新号は結局たった6ページまでしか読み進まなかった。でもこれから生徒と対峙するにあたり、大事な心構えというか、持つべき考えかたを一つ、改めて得たような気がする。