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特級統合失調症患者から今日の回復至るまで【10代篇】

こんにちは。

Masaismです。

今回は、私が統合失調症という現代医学では不治の病と言われている精神疾患からどのような回復経過に至ったのかを事細かに書いていこうと思います。

私がまず精神の不調を感じていたのは、中学校1年生の終わり頃で、3学期の学年末試験の結果が学年で

3位

という成績を叩き出す事ができました。

この結果は、自分でも何で出せたのかは

はっきりしませんが

それなりの努力はしてきたとは思っています。

ただこの結果に対し

勿論家族は喜んでくれたのですが

母親が一言

『今度は1位を狙いなさい、もっと欲を出しなさい』

この言葉が物凄く気持ちに

引っ掛かりを感じ

今まで何のために頑張っていたのか

元はと言えば何のために誰のために

勉強を頑張っていたのかが

全くわからなくなってしまったのです。

そこで、自分の中の何かが壊れ

学校へ行く事や勉強のモチベーションも

明らかに下がってしまったのです。

それからというものの

仲の良かった友達とも関係が崩れ

夜も眠れない

食事もできない

何も楽しくない

という明らかな鬱症状が出ていたにも関わらず

親は

『そんなのは甘えだ!あんた学校に行かなくなったらもっと悩むわよ!とにかく学校に行きなさい!!』

と無理やりに泣く泣く学校に行かされました。

その時の自分は親に反抗できる力も気持ちもなく

とにかく自分のプライドと我慢強さだけで

学校も乗り越えていたと思います。

しばらくしたら

鬱症状は落ち着いてきましたが

やはり気分や体調の波は

しばらく続きましたが

メンタルクリニック等に続けていく事はなく

なんとか親に懇願して

単発で内科に通院して

デパス

を服用するのみでした。

それでもやっぱり辛かったので

精神科を受診する事になりましたが

そこの医師が

『あんたのは病気じゃないよ』

と一蹴され

何の効果も意味もなく

そこの病院を後にしました。

もう誰を信じればいいと

保健室の先生を頼る事もせず

学校から帰ったら

メンタル系のインターネットの掲示板に

助けを求める事にしました。(俗にいう某有名掲示板ではないです)

そこでの検索ワードは

『神経症』

でした。

いろいろ症状を調べてみるとこの病名が

1番自分にしっくりくると感じていたのです。

勿論、そのサイトの管理人の方も

良いアドバイスをくれる事もありましたが

まだまだその時の自分は

中学2年生

その助言の全てを完璧に

理解する事などはできませんでした。

一時の気休めにはなっても

また次の日には学校に行かなくてはならない。

なぜか不思議だったのは

授業中は先生の話を聴き

ノートを取ればいいだけだったので

楽だったのです。

1番辛かったのは

休み時間です。

小学生の時の

休み時間はただサッカーをすれば

良いだけでしたが

中学ではそうはいきませんでした。

元々友達も多く活発な性格だったためか

いきなりの自分の変わりように友人達も

ついていけず戸惑っているようでしたが

徐々にそれも普通の事になり

それもそれで寂しく机にずっと突っ伏してる訳にもいかずに

休み時間の過ごし方が本当に

辛かった…。

なんやかんやで、中3になり

私の自傷行為事件

ようやく

『統合失調症』

という診断を受ける訳です。


退院をしてからも

相変わらず学校へ行くのが

辛く辛くてたまらなかったです。

そして、また通院も途中でいかなくなり

夏休み中に症状は悪化し

家族にも友人にも先生にも

迷惑をかけました…。

それでもなんやかんやで

なんとか高校受験は突破して

春から高校生となるや否や

両親が離婚

する事に…。

私は母方につく訳ですが

大した財力や仕事もあるわけでもなく

病気の事もあり

自分のこれからの人生が

不安で不安で仕方なかった…。

高校に入ったら

バイトを頑張ろうとは思っていたが

大学の志望校は国立を目指そうといった

矛盾にも耐えられず

バイトも半年で辞めて

同級生の陸上部の好きな子のために

サッカー部に入部したのだが

その部活も半年ちょっとでいかなくなった。

やはり人間関係など協調性の部分で

壊滅的な障害がその頃からあったのだと

思います。

それからも状態が悪いまま

家族仲も悪くなり

家族はバラバラとなり

私と兄は戻りたくもない

父の家へと戻り

母親は自分の妹の家に居候をする事に

なります。

そんな極限状態の中、

私は病気を抱えつつ

学校に通いながら

コンビニのアルバイトを始めました。

そんな状態の中

よくそこまで頑張れたなぁと

我ながら思いますが

ストレス過多の生活で

私の校内問題が多発し

遂に高校3年生の5月に高校を

中退する事になります。

そして、しばらく母親と2人で

私はアルバイト生活を送る事に

なりますが

慣れない環境と生活、また自分の人生に

嫌気が差して

母親と二人暮らしのアパートを

めちゃくちゃにしてしまいました。

そして、警察が動員されましたが

私は必死の抵抗に

1人の警察官を投げ倒しました笑

そこまではまだ良いものの

次から次へとくる警察官に

集団リンチ見たく

取り押さえられ

あえなく私はパトカーに連行され

警察署へ事情聴取を受ける事になりました。

その時話した警察官ともなぜか

昔やってたゲームの話で

盛り上がり

その状況下でもそれなりに楽しんでいる

自分がいました笑

そして、精神科通院暦があると言う事で

精神病院へ搬送され

2人の精神保健医の診断の上

私はその病院に

措置入院

する事になりました。

まあ、なんとも辛い10代を過ごしたものですね…😢

我ながら書いてて涙が出てきます…😢

それから3ヶ月間は

病院から出れず

お薬でヘロヘロにぬりろくに呂律も回らない

廃人人間

になってしまいました笑

今はまだ呂律はかなり回復しましたが

その当時の私は本当に

何を話しても相手は聞き取れず

同じことを2〜3回聞き返されてしまう始末。

本当に辛い入院生活でしたね…。

退院後は、通信制高校へ通い

1年で卒業するのですが

1ヶ月に1回のスクーリング以外は

ほぼほぼ家で昼夜問わず

ニコニコ動画の生放送やyoutube

にハマりまくり

完全なるひきオタニート

になっておりました笑

それでも学校の課題だけは

気にして

単位を落とさずに

頑張っていた真面目な一面もありました。

そんな中私は大学は二部生の理科系の大学に

入ろうと思っていたのですが

受験勉強もそっちのけで

動画にハマりまくり

受験受付の最終日に

問題を起こし

再入院となりました。

今度は4ヶ月間出れなかったですが

もうあんな思いは二度としたくないと

思うほどでしたね笑

そして、再退院後は

精神科デイケアへ

20歳の成人式さえも

まともに会社や学校に

所属することのない

ただのニート

だったのです笑

続く…




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