適応障害になった大学院生のはなし 1
皆さん,はじめまして。しょくぱんといいます。
この記事は,とある精神疾患を抱えながらも修了に向けて頑張る大学院生の記録です。なぜ,これを書こうかと思ったかというと大学院生って結構苦労する人間だと思うのでその助けになればと思ったことと自分の日記代わりに置いておこうと思いました。
読んでいてもし何かコメントとか質問とかあれば気軽に書いてください。
初めて書くので,あまり慣れないかもしれませんがよろしくお願いします。
1.しょくぱんについて(自己紹介)
名前は私がパンが好きなところから取りました。
今は,材料系の研究室に所属する理系大学院生、修了を来年春に控えたM2です。現時点でメーカーに内定を貰っていますが諸事情で就職活動を再度今行っています。ここら辺の理由は後程お話しします。
実は大学院生になってから3度適応障害を患っており,現在は自宅療養をしながら修論執筆を行っている身となっています。ここら辺もそんなことあるんかと気になるところだと思いますが後程…
2.研究室配属~B4の秋頃まで
元々,なんとなく就職の幅が効きそう,実験楽しそうみたいな理由で化学系の学科を選びました。学部時代は授業も実験も楽しくて研究室入っても楽しくできるんだろうなあと夢を描いていました。
そんなこんなでB4になって研究室配属の時期,どこにしよかなぁと悩んでいた時。私の希望としては当時外部院進を希望してたので
・外部院進に許容できる環境 (うちは内部推しが多かったので下手したら外部なら他の研究室行けと言われたこともあった)
・コアタイムが比較的厳しくないところ
(実家から大学まで2時間程かかるので時間が融通効きやすいところが良かったため)
というのを軸にあとは面白そうなところでで選びました。そして行き着いたのが今の研究室です。
配属した当時同期はほぼ1回生の時同じクラスの人だったから顔見知りだから少し安心しました
・
時は流れ、なんやかんや外部院進を目指して院試受けたけど現実は厳しく結局内部院進をし、研究テーマが与えられというかんじでB4の10月。てかあとでも書きますが毎年秋は何か起こるものなんですかね。
前期はまだ初めだからと許容されてたゼミも後期になり厳しさを増しました。後期一発目のゼミで最初に発表して開口で言われたのが
【前期あんだけあったのにこんな当たり前のことも出来ないの?何やってたの?】
勉強不足は否定しないけど何もしてないじゃんと全否定の教授。B4の時は教授しか先生はいなかったのでゼミはもう教授vs生徒みたいな。めちゃくちゃ言われたなぁとその日は凹んで次の研究発表こそやったんねんと意気込んでた私。
この頃はまだ強かったんですよね。メンタルも。
ところが。この当時いたD2の先輩がまぁなんていうか私とは合わない部類の人間でした。
この先輩うちの研究室では結構結果も残してたりですげぇって称えられてた人で、それなりの威厳を持っていました。私の研究テーマは当時この先輩が先生しか知り得ないので先輩とディスカッションは避けられないのです。
B4の私は知識も浅いので色々聞いてたけど、私の出来なさとかを見て呆れたのかある時質問した時、こんなんもわからんのみたいな感じの対応をされました。
まぁB4からしたら研究室で権力持つ人に出来ない奴と評価されたとなると、なんていうか怖いんですよ。
自分は勉強してるのにと思っても聞くの怖くなってそこからは相談出来ませんでした。
同期にも𓏸𓏸さんに話さないといけないよと言われてもそりゃあこっちは質問というかディスカッションお願いしたのにあんな対応されたら話したいものも話せません。
そんなこんなでゼミではボコボコにされ、先輩には話しづらいてか苦手なってしまいました。それでもB4のうちはまぁ1年目はしゃあないよなと何とか踏ん張りました。
今思えば勉強足りないこととか話すのが下手なのは私が責任あるとは思うしそこは自分の至らないことではあると思います。
ただ、こっちからしたら頼れる人がいないんやみたいなもんだし他の先輩は結構話しかけにくい雰囲気強めだったのでもう孤立ですよ。
唯一すごくやさしくしてくれてたM2の先輩は話聞いてくれたりアドバイスもくれたりと、全くテーマ違うのにたくさん助言もしてくれました。この先輩がいたから続けてたところはあるかもしれませんね。
ということてB4編はここまで。さて次は暗雲が徐々に立ちこめるM1編です。