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【episode58】心から笑えるようになるまで3年
ロンドンでの生活は、できるだけ余裕をもって過ごすように心がけた。
自分の感覚を大切に感じながら過ごそうと思っていた。
時差のある中、Zoomで日本との仕事はしていたけれど、新しくロンドンで事業を広げようと思えばできたはずだ。
けれど、思えば起業してから10年、睡眠時間も削って、道なき道を切り拓き、新しいことばかり生み出してきた。
その結果でもあるので、仕事ばかりの生活にならないようにして
夫婦関係の修復と自分の立て直しに集中したかった。
部屋は家具付きでオーナーのシンプルモダンなセンスが好みで
リビングダイニングが広くアイランドキッチンで
私の仕事部屋もあってクローゼットもテラスも大きくて、バスルームも2つあるタワマンの2LDK。
ジム、プール、ジャグジー、サウナもあって
高層階にあるTea&Barラウンジでは
仕事もできるし軽食も食べられる。
フロントにコンシェルジュがいて
クリーニングもAmazonも受け取ってくれる。
スーパーもドラッグストアも近くにあって
バス、地下鉄、レンタルサイクルもある。
NYの部屋よりもバージョンアップして
住環境としては、申し分なく満たされていた。
ベッドルームでは太陽の光を浴びてカモメの声を聞きながら目覚めた。
テラスからは、毎日鮮やかな夕日も楽しめる。
お花と花瓶を買って、日々花のある暮らしを送っていた。
それでも、ベッドの中で時々フラッシュバックが起きて涙が止まらなくなったり、テラスから飛び降りたらどうなるだろう?と思ったり
自分の中にある無価値感、罪悪感、猜疑心、被害者意識と日々闘っていた。
ロンドンではウツの薬は飲まないようにして、ベッドの横の引き出しにそっと置いていた。冬のロンドンは寒さが厳しく、16時には暗くなるので夜が長い。そろそろ寝ようかという時間になると、日本が目覚める時間なので、2カ国生活のリズムを掴むだけで精一杯だった。
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そんな中、カウンセラーさんからの言葉に救われたことを覚えている。
「つらかった出来事を思い出さずに心から笑えるようになるまで、3年かかりますよ。
今は毎日思い出す、それが1日おきになり、3日おきになり、1週間経っていた。気がついたら思い出す頻度が1ヶ月、3ヶ月と間隔が長くなって、いつの間にか気にならなくなる、そういうものです。焦らずに癒して向き合っていきましょう。」
はっきりとそう言われた時
(3年….そんなにかかるのか….)と思ったと同時に、私は心からホッとした。
3年経てば、心から笑えるようになるんだ。
ロンドンの家に引っ越してから、少年夫は携帯の番号を変えた。
SIMの関係なのかLINEも引き継げなかったので
完全に彼女からの連絡は途絶えることになる。
結局、同意書は弁護士経由で送って手術したのかどうかはわからなかった。
もしも産んでいたら….
3年経ってみなければわからない、と私は密かに思っていた。
慰謝料を私から請求できる期限は3年だ。
3年経って慰謝料請求期限が過ぎたら
認知してください、と突然現れるかもしれない。
やはり3年経てば、心から笑えるようになりそうだった。
テラスから飛び降りたりしたら
ツイン君が悲しむだろうな….
当時はそうも思っていた。
ロンドンへ引っ越してから1ヶ月後に
私は会社の行事を行うため日本へ一時帰国した。
その時にはツイン君へ連絡して1ヶ月ぶりに食事に行っている。
ただこの時、どこに行って何を話したのか記憶がほとんどない。
ステーキハウスへ行ったことだけは記録していた。
まさかこの後、コロナがやってきて帰国することができず
8ヶ月間会えなくなるなんて思いもよらないことだった。
日本での仕事を終えて、ロンドンに戻り
クリスマスシーズンは新婚旅行以来フランス・パリを訪れ
ロンドンでも初めてのクリスマスシーズン&年越し
お正月はイタリア・ローマ、バチカン、ナポリ、アマルフィを巡り
2月には少年夫の同僚4人と一緒にスコットランドへも行った。
その後、3月に日本へ一時帰国する予定でいた頃
コロナの波が押し寄せてきたのだった。