【episode28】自分の居場所をつくるための独立起業
少年夫が行きたい社会人大学院は、仕事後の平日の夜と週末に通って2年かかる。会社もOKを出してくれて授業日は早く退社できることになり、入試に向けて勉強を始め、2年間の授業料は公庫から借りる予定。
アメリカの大学を卒業した少年夫は、社内での学閥や日本の大学への憧れもあったのだと思う。日本の大学は所属意識が強いけれど、アメリカは個人主義で、私が日本の大学時代の学部、学科、サークル、バイト先などの仲間と仲が良かったことも影響していたのかもしれない。
都内のいくつかの大学院へ私も一緒に見学に行き、
入試の日、面接の日も保護者のように近くのカフェで待っていた。
そして無事に、少年夫は第一志望校に合格した。
結婚して1年が経つ少し前、私は会社を辞めることを決めた。
2年ほど散々迷った末、1冊の本に背中を押され
自分が心からやりたいことをやろう、と思った。
これまで、アメリカでも東京でもゼロから生活を築き上げてきた。
親から半ば勘当されても、彼氏と別れて一人になっても、ブラック企業であっても、グッと堪えて頑張ってきた。
これからも大変なことがあるかもしれないけれど、
ぐるぐるモヤモヤの状態を続けながら働くよりはずっといい。
やらない後悔するより、やって後悔したほうがいい。
これまで勤めた会社はどこも「ここは私の居場所じゃない。」とずっと感じていた。だったら、自分の居場所を自分で作るしかない。
その時点では、心からやりたいことがクリアにわかっていたわけではない。見えない何かが掴めそうで掴めない、そんな感覚だったけれど、ファッション&ビューティーに関係することだけは決めていた。
それよりも、自分の思う理想の環境を自分で創りたかったのだと、今は思う。
少年夫に相談したところ、大反対だった。
独立起業して仕事になるのか、心配なのは当然だったと思う。
家購入のための頭金とローン、引越、リーマンショックでの損失、結婚式、新婚旅行、そして大学院進学で、家計に余裕はいっさいなかった。しかも、大学院の費用さえ借りようとしている。二人とも親には頼れない。
二人が会社勤めのダブルインカムから、私がしばらくフリーターのようになって、いつどのくらい稼げるかどうかもわからないわけだから、心配なのは当然だ。勤めていた会社から下請け的に仕事をもらうわけでもない。
でも私は、会社での仕事をこなしながら独立起業して、二足のわらじを履けるほど器用ではないし、没頭することは目に見えていた。
当時は、起業する人が少なかった時代。
副業している人もほとんどいなくて、起業の一択だった。
スマホが普及する前のガラケー、デジカメ、デスクトップPCを使っていて、何かを調べるにもネットにも載っていなかったり、図書館に調べに行ったりしていた、そんな時代だった。
自分だって大学院に行くじゃない。
私だって好きなことを仕事したい、挑戦したい。
と言って、少年夫に向けて一生懸命プレゼンした。
最終的に、言っても聞かないと思われたのか渋々承諾してくれ
結婚して1年後、私は会社勤めを辞め、一人で仕事をはじめた。
それが後々、使命を考えることになるとは知らずに
ただただ早く結果を出したいと思っていた34歳の終わりだった。