【episode31】自分のビジネスの在り方と妊活の行方
仕事の方は、震災後のキャンセル続きからの立て直しに必死に取り組み、睡眠時間4時間を続け、ずっと交感神経優位な状態で、この頃は呼吸も浅かったように思う。休みという休みを取ったこともなかった。
そうこうしているうちに、起業する方法を教えてほしいとか、同じような仕事がしたいとか、ちぇるさんみたいになりたい、という人が何人も現れた。
先生の性分なのか、教えてほしい、と言われたら
どうにかして教えよう、とする。
基礎的なことを最初はマンツーマンで、すぐにグループ講座で教えるようになった。その中でプロになりたい、という生徒さんが現れた。
意思は固そうだ。
もうこれはスクールにして、アドバンスな内容を教えて
彼女をプロにしようと思った。
そこで私は、礼儀と考えて、自分が通ったスクール2つの代表2人に話をしにいった。1人には特に起業初期にお世話になったので直接会いに行き、もう1人の代表には、直接教えてもらっていなかったのでメールで連絡した。
教えてもらった内容をそのまま教えることはしないし、スクールの内容も同じではなく名前も違っていて、テキストは同じものを使わず自分で準備してはじめます、と。
すると、私の想定外の反応だった。
直接会いにいった1人から
「契約違反だ。競合禁止の項目に触れる。」と後からメールが届き
もう1人からは「スクールはやめた方がいい。」というメールが届いた。
その2人は偶然知り合いで、私が何か新しいことをはじめようとしている、と2人に止められた形だった。
私は先生や指導者というのは、純粋に応援してくれるものだと思っていた。
自分の生徒が挑戦しようとしていることを二人がかりで止めに入るなんて、思いもよらないことだった。自分たちの仕事が減ってしまうと案じたのか、出る杭は打っておこうと思われたのか真意はわからないけれど、先生に応援してもらえないこと、信じてもらえなかったことが悲しかった。
私は絶対に生徒の応援をしよう、味方でいよう。信じよう。
その時私は、自分のスクールの在り方を決めた。
少年夫は大学院を無事に修了し、時間に余裕ができていた。
私は週末も仕事をしていたので休みが合わず
彼は一人でできるスポーツ、マラソンをはじめた。
そもそも以前の会社の時、適応障害と診断された後、
心配した上司の一人がランニングに誘ってくれ
少年夫と私は時々ランニングをするようになっていた。
最初は一緒に走れるほどのスピードだったのに
何でものめり込んでいく少年夫は、徐々にスピードも距離も伸ばしていき、ついにはフルマラソンの大会に出場するようになっていた。
最初は10kmの大会からスタートして、東京マラソンでフルマラソンを完走し、その後52km、100kmのウルトラマラソン、林道や登山道を走るトレイルラン、トライアスロンにも出場するようになり、私も自転車で伴走して練習に付き合ったり、大会へ応援に行ったりしていた。
私たちの妊活は、タイミング法にトライする期間を経て、次の段階に進むかどうか決める時期にきていた。人工授精、体外受精、どこまで何回進むのか・・・不妊治療に対する助成金は、当時は今とは違う所得制限があり、いずれにせよ対象外だったので、金銭的にも覚悟しなければならなかった。
病院に行きはじめて、私たち夫婦よりもっともっともっと真剣に取り組まれている方が大勢いることを知った。
そう考えると、私は甘いのではないか。
どこで自分の気持ちにけじめをつけるのか。
私は起業して以来はじめて、どこか遠いところへ旅に出たくなった。
それまでの道のりを振り返りたくなったのだと思う。
そして、少年夫と出会いから一緒に過ごした場所を巡ることになる。
少年夫と二人で、私たちが出会ったカリフォルニアの田舎町、通った語学学校、カレッジ、ホストマザーに連絡してホームステイしていた家を訪ね、LAへ移動して大学のキャンパスを歩いたり、友人たちに会い、懐かしいレストランを訪ねたり、住んでいたアパートを巡ったり、ラスベガスへ行ってショーを観たり、若かった頃留学していた頃は泊まれなかったようなホテルへ宿泊したりした。
旅から日本へ戻り、妊活は39歳いっぱいまでにしようとなぜか思った。
タイミング法だけで、人工授精も体外受精もしないことにした。
少年夫もそれ以上の治療を望んでいないようだった。
そして少年夫は転職活動をはじめ
何度も設定された面接を通過して、念願の外資系企業へ転職した。
私も自分のビジネスにさらにのめり込んでいくようになっていた。
自分で試行錯誤しながら個人事業主として5年が経った頃、
世間では「ノマド」という言葉や「ノマドワーカー」が注目されるような潮目になった。特定の場所にとらわれず、場所や組織にとらわれない働き方をする人のことを指すらしい。
そのような働き方を後押しするような起業塾、創業塾なども次々と現れた。
私も自分にとって、周りの方々にとって、どのようなスタイルが良いのか?
みんなが幸せにつながる道はどこにあるのか?
法人化はどのようなスタイルが良いのか?
高額の創業塾やマーケティング塾にも参加して模索しはじめた時期。
業界で少し名前が知られてきた頃、仕事を餌に巧妙な詐欺のようなものにあった。私よりも前からビジネスを行っている同業の先輩方が一緒だったので、油断していた部分もあったし、お金に対する当時の意識につけ込まれたのだと思う。最初に感じた違和感を放置して進んでしまった結果だった。
自分の目を信じる。
自分の感覚を信じる。
妊活も起業も1年以上グルグルしていたけれど、そこで学んだ。