【episode27】新婚旅行と家事情と仕事模様
結婚してからほどなく、私は34歳になった。
ここからは、ツインストーリーSeason3のはじまり。
私は結婚する1年前から転職を考えはじめていた。
ビューティー業界のベンチャー企業へ転職後、時間的には余裕のある働き方になった。ただ元々は、会社のダンディな紳士オーナーから「ファッション事業を立ち上げたい、それまでビューティー事業部にいて。」と言われていたのに一向に動きがない。
さらに、雇われの社長は悪い人ではないのだけれど、社員から嫌われていた。会社の外にいる社長から会社へ電話がかかってくると、誰も電話を受けない、取りたがらない。電話に出てしまうと何かを頼まれるから、皆は嫌がって電話に出ない。「あ、社長だ・・・」と電話に出ない、という感覚がイヤで、そんな感覚を持ちたくなくて、私が電話を取っていた。
人を小バカにするとか、グチばかりを言うとか、そういう雰囲気に染まりたくなかった。
ただ社長も社長で、皆にバレないように会社でアダルト系の動画を観ていて、すごい頻度で会社のPCのモニターで観るものだから皆にバレていて、陰で気持ち悪がられていたのは仕方なかった。
他にもいくつかのきっかけが重なり
スクールにも通いはじめ
私は転職ではなく独立しようかと考えるようになる。
でも、独立して自分で仕事をするなんてできるだろうか?
グルグルと考え、迷いながら、会社での仕事を日々こなしていた。
少年彼氏と一緒に住みはじめて、結婚して少年夫となってからも、家事全般は私が行っていた。全般というより100%全て。
料理、食材の買い物、掃除、片付け、洗濯、アイロンがけ、ゴミ捨て、翌日少年夫が着るスーツやネクタイまで全て準備していた。
九州の専業主婦の母を見て育った私は、女性の役割としてそれが当たり前だと思っていたし、義務のようにも感じていた。母は、父や子どもたちの食事を準備するため、一緒に食卓に座って食事をすることはなかったし、お風呂は父から入るのが決まりだった。父が何かしらの家事をしているのを一度も見たことがない。そんな環境で育ったので、少年夫が服や靴下を抜ぎ散らかしても黙って片付けていたし、ゴミ捨てに行ってと頼むことさえ申し訳ないことだと思っていた。
今思えば、古い時代からの思い込みや自己犠牲や罪悪感がいっぱい詰まっている。本当は料理が苦手であまり作りたくなかったのに、当時は当たり前に私の役割だと思っていたので、そんな状態で独立などできるのか?自分の負担が増えるような気がして迷っていた。
結婚式から4ヶ月後に、私たちは新婚旅行へ向かった。
行き先はウィーン&パリ。
私の家は田舎の厳格な父親ではあったけれど、感謝しているのは、小さい頃からクラシック音楽が家でも車の中でも常々流れていたこと、沢山の洋画を観せてくれたことだ。なので、音楽や欧米への興味が強くなったのだと思う。
それもあって、私にはウィーンのオペラ座でオペラを観たいという夢があり、ウィーンで音楽の世界に触れ、モーツァルトやベートーヴェンの家にも行ってみたかった。
そして、ファッション&ビューティー業界で仕事をしていたので、パリへの憧れも強かった。
少年夫は行き先はどこでもいいよ、という感じだったので、新婚旅行はウィーン&パリになった。旅行前の準備やパッキングは全て私が行い、旅行中のオーガナイズも全て私の役割で、旅行中は寝不足続きではあった。
ウィーンでは、音楽はもちろん、シェーンブルン宮殿、ベルヴェデーレ宮殿に感動した。というよりなぜか懐かしさと安心感を感じた。宮殿の庭で迷ってしまい、やっと抜け道!と思ったら、目の前に大きなクリムトの「接吻 / The kiss」が現れた衝撃は今でも忘れられない。あのクリムトの絵を間近に感じてから、確実に何かが目覚めた。
パリでは凱旋門近くのホテルを予約していたので、シャンゼリゼ通りを満喫できたし、ヴァンドーム広場やサンジェルマンデプレももちろん楽しんだ。ヴェルサイユ宮殿にも行ったけれど、私にとってはルーヴル美術館の夜の中庭のピラミッドの方が印象的だったことを覚えている。エルメスの本店へ初めて足を踏み入れ、新婚旅行の記念に時計を購入したりもした。その時計は、数年後に旅先で失くしてしまうのだけど・・・
色々あった新婚旅行は楽しかった。
旅行から戻って結婚式から半年が経った頃、少年夫が怪しい行動を取った。
休みの日に、結婚式にも参列していた私たち二人のアメリカ時代のキューピッド的男友達の家に行くと行って、行ってなかったのだ。しばらく経ってから、その日少年夫は戦友女性と会っていたことが発覚した。さらに別の日に食事にも行っていた。
結婚前に確認したよね?
その人が好きならば、私は結婚できないよって。
そう思った私は、家出した。
女友達の家に身を寄せていた私のところへ少年夫から連絡が入り、泣いて謝ってきたので、家出は1日で終了したけれど、少年夫はやはりその人のことが忘れられないんだなと思ったし、私ではない他の誰かを探しているような感覚が残った。
ツイン君と私はといえば、結婚後も変わらずだった。
というより、変わらないようにしたのだと思う。
3、4ヶ月に一度食事に行く。
時間的に余裕があったら2軒目に行って、終電までに帰る。
結婚後の初期の頃は、結婚式の話や指輪のブランド、家計はどうしているのかなどもお互いに話していた気がするけれど、そのうち家のことはどちらも話さなくなっていった。
だからといって、親友モードから恋愛モードになることはなく仕事や今後やりたいことの話ばかりしていた。
当時、お互いの新婚旅行先さえ話題にしなかった。ずっと後になって、ツイン君のLINEのホーム画面がルーヴル美術館のピラミッドだとふと気がついた時、私は彼の新婚旅行先がパリだったとわかった。そしてさらに後になって、コロナ禍で私がイタリアのアマルフィに行ったことを話題に出すと、ツイン君は自分も行ったことがあると驚いていた。さらに言うと、私がイギリス、アメリカ南カルフォルニアでの留学期間を終えてから、ツイン君はサンディエゴ、ラスベガス、NYへ出張が入る。それはその後も、LA、SF、ロンドンと続いた。全て私も行ったことがある場所で、同じ景色を、違うタイムラインで見ることになるのだった。
結婚式から1年が経つ少し前に
少年夫が社会人大学院へ行きたいと言い出した。
そして私は、会社を辞めて独立起業を決意することになる。