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映画「ナディア・コマネチ 白い妖精の真実」(2016)と体操女子をめぐる思い出など

ルーマニアが生んだ「白い妖精」こと、体操選手のナディア・コマネチのドキュメンタリー映画をAmazonプライムで観ました。

コマネチが突如、世界のひのき舞台に躍り出たのは、1976年のモントリオール・オリンピックです。

このときの演技をテレビで見た覚えはないのですが、たいへんな人気者だったことはうっすら覚えています。

このときコマネチは、まだ14歳だったのですね!

技の難易度は今の水準から見れば低いのでしょうが、キレがあって、堂々としていて、みんな釘付けになったのだろうなあと思います。

そして、可愛い。ものすごく可愛らしい。でもキリっとしていてあまり笑わない。

かつての東側の選手のイメージそのものな感じですね。

少し前に観た、チェコスロヴァキアの体操選手、東京五輪の花、ヴェラ・チャスラフスカは大人の女性の美しさに溢れていましたが、コマネチは、体操という競技の種を変えた選手といっていいのかな。

映画は、コマネチのコーチや知人、友人らの証言と記録映像、本人の回想(声は別人なのか?)を織り交ぜて進んでいきます。

独裁色を強めていくチャウシェスク政権で、コマネチは、国の象徴としてもてはやされるものの暮らしぶりは良くならず、監視や期待ばかりが強くなって心身の調子を狂わせていきます。

社会主義国のスポーツエリートは特権階級で、贅沢できて、生涯を保証されて…というようなことが言われてきましたが、この映画に登場する人たちの証言によれば、ルーマニアではそんなことはなかったとのこと。

コマネチは、大統領の息子にも言い寄られたようですが、それも拒否していた、というような話も出てきました。


1989年になると、東欧諸国が次々に一党独裁体制を放棄していきます。しかし、ルーマニアでは1989年11月にチャウシェスクが大統領に再選されます。

その状況を見て、コマネチは両親にも秘密で亡命の準備を進めます。

ハンガリーに向けて、ぬかるみのなかを徒歩で数時間歩き、最終的にはアメリカへの亡命を果たしました。

ルーマニアでは、「富と特権を享受していたのに」と非難ごうごうでした。

そのあと、ルーマニアは、12月25日に大統領夫妻が処刑されるというショッキングな事態になり、ようやく一党独裁体制が終わりに向かいました。

亡命後、コマネチは過去についてあまり語っていないようで、この映画を観てもいまひとつ靄にかかっているような感じは残りましたが、かつての東側の国のアスリートの苦労や苦悩の一端を知ることができました。

東側の体操選手といえば、私は、コマネチよりも、もう少しあとの選手たちの方が記憶にあります。

1984年のロサンゼルス・オリンピックでは東側諸国がボイコットしたため、アメリカの選手が圧勝しましたが、東側の選手の方が好きだなあ、ボイコットなんてなければ良かったのに、と思いながら見ていたことを覚えています。

1988年のソウル・オリンピックにはふたたび東西の選手が揃い、大興奮しながらテレビで観戦しました。

一番好きだったのは、ソ連のスヴェトラーナ・ボギンスカヤです。

体操選手としては大柄で、長い手足を存分に生かしたヘンなポーズが多く、とても魅惑的でした。クールビューティでありながら、チームのお姉さん的な雰囲気もありました。

最近、インスタグラムで勝手に流れてくる動画のなかに、ときどきボギンスカヤの演技もあって嬉しく見ています。今見ても面白くてカッコイイなあと思います。



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