あたらしいところにどかどかはいっていくこと、すこし気がひけるけど受け入れてもらえたら嬉しい。温泉のサウナってその場所の雰囲気をなんだか現していていい。夕焼けがきれいだったのよー、昨日。そんな声がして振り向くと朗らかなご婦人がわたしたちにむかって話していた。ここのひとじゃないけど話しかけてくれるんだなと思った。そういうば脱衣所でもこんな田舎の温泉にたくさんきてくれてありがたいねと常連さんが話していた。混むといやになっちゃうからこころの余裕があってゆったりしてて豊かだった。新しい
カフェインいれすぎて脳が眠くないと言っているので頭にあることを脈絡となく書き出そうと思い立って画面を起動。おばあちゃんが食欲ないみたい。ちなみにわたしも最近すこし多く食べるとお腹の調子があまりよろしくない。ケーキづくりにハマって大量につくっては食べてたら皮膚にでてきちゃってこまった。すぐでるからわかりやすくて助かったりする。じぶん以外のひとがこの身体だったら耐えられるのかなってたまに思う。砂糖をすこし多く摂取したらこの感じよ。使ってただしの主成分も砂糖だったから今度昆布かって
こんにちは。ひさしぶりにゆっくりかいてみようと思います。最近山に登りました。ゆるゆるの靴で登ったものだからすこし痛めたり、よくなったりまた痛くなったりしてました。 文章を書く習慣みたいなものがなんとなくついていたのですが、書いてる意識はなくて他のことに集中したいときに脳内にあるものを保存しておこう!という感覚だったりします。どこか作品のような要素もあるので残しておくつもりです。 靄として存在していた人格の輪郭がはっきりして分離できたからか書くことがぜんぜんなくて、下手にな
池が一面凍っていた。 蝋梅が空に向かって咲いていた。 たったそれだけなのに美しくてずっとこのままがいいのにって思った、束の間。 水は強そうにみえて弱い。氷点下で凍って流れが止まる。 梅は儚いけど強い。悠々と咲いていく。 ひともそうなのかも。 両方がすきだし、流れがとまる美しさもある。 空腹と冬の寒さには勝てない。これさえ覚えておけばあとはなんだっていい。あとは、自由にのんびりと漂ってるんだ。
透き通ったビー玉のようなひとが好き。 人間にしかない複雑性があるから人間もすき。 ぼーっと風呂場の天井を眺めているといろんなものがぬけていってなんにもなくなっていってなんにもないってしあわせなことに気づいた。最近では人間より湯船がすき。人の波より紙の上を走る文字がすき。 人間であろうとしないとこんなにも軽くて最高な時間の経過が生まれるんだ。一見重くて呼吸が止まりそうでも脱力したときの軽さはどんなときでも味わえる。 そもそもわたしは人間じゃなかった。わたしの世界に時間なん
室温7℃の朝より、14℃の夜の方が寒く感じる不思議。夜7時過ぎれば眠くなるし、朝はずっとごろごろしてたい。 10時間睡眠じゃないとやっぱり眠くてにきびだってたくさん寝ただけで小さくなってる不思議。 日曜日の午後3時前にradioから流れてくるback numberを聴きながらお風呂に浸かってると湯気があたり一面に充満して、スッキリとした寒気とあいまってほんとうに温泉にいるような感覚で世界でいちばんしあわせなんじゃないかって錯覚する。 ひとりの時間の、なんにもしない時間の
鈴の音が鳴る朝、その日だけの白い姿。 透明の銀世界、溶けてしまえばグレーの海。 ふんわりと浮かんでオレンジの螺旋。 一瞬目を霞めると混沌の楽園。 闇の底には黄色い光があって、一歩間違えると転落の彼方。 あえて進む勇気を勇気をください。 また戻ってこれるよね。 変幻自在に操って。
しんしんと降りつもる雪にうもれてしまうものもあれば、溶かすような暖かさが充満するものも、ある。前者だったら、そっとわたしはここにいるよって返答したいし後者だったらとっても嬉しくなってタカラモノにしたくなる。きらきら光る素敵な創作物や感情を揺さぶる詩や思わず動いてしまう踊りはできないけれどわたしがそこにいる。それがある、それがいいのだろうって思ってる。最近。椅子を新調した。新しい椅子はちょこんとしてて、とっても可愛い。そして、とってもフィットする。不思議。フィットしないものでも
食べることが最大のしあわせなのに口角炎がぷつり。がんばることをやめてからしばらくたつけど洗濯物を取りこむだけで息切れする。いろいろあきらめてから身の丈に合う行動をするようにしてたらかなり楽。ひとより100倍やらないとできないって信じ込んで叶えてきた人生もたのしかったけど、いまのなんてことないかわり映えしない人生がかなり気に入ってる。もちろん叶えるに越したことはないしそれなりの努力はしたいけどできないことを無理にしない。 たまに無性にくやしくなる。もっとできるんじゃないか、も
最近はなんだかまいにちたのしい。 朝とお昼で存分にお腹を満たして日向ぼっこしてそれだけでしあわせ。 スローリーな日々だけどいつになく穏やか。 ひさしぶりに連絡をとったひとたちも優しくてかわらなくてでもやっぱりすごくてわたしにはできないことを成し遂げてたりしてきらきらしてる。 ともだちってよびたいけれどどこかおこがましいようなでも「ともだちになりたいです」っていった日からもうすぐ一年くらいたつけれどやっぱりほっとするし、一気にぱっと明るくなってそれはたいせつにしてるからだしとも
sns からちょっとだけ距離をおいている。ここは、sns って認識してないからべつ。雨がにがて。17時少し前がにがて。じぶんに甘々にしてたら体重計がみたことない数字を叩き出してたけど気にしない。(気にしてる。)ちょっとココアを飲みすぎたかな。焼き芋食べすぎたかな。そう思ってる。食べないとなんか元気がでない。ぼーっとする。ぼーっとしてるとあっという間に16時になってしまうよ。いままでは暮らすことを考えてたけど家事はそこそこでいいかなって気分。いまはそれどころじゃない。ひととかか
だれかといっしょにいる理由ってたのしいからしかない。 ひとりよりふたりのほうがずっとたのしい。 そう思えるひとがひとりでもいたらいいな、ずっとね。 余韻をあじわいたくってこの時間までおきてたらハンバートハンバートのラジオを聴けてラッキーが渋滞してる。 動いたほうがよいひとだってことがわかった。 うごけない環境がずっとずっとにがてだった。 そしてずっとずっと選んできた。 真逆だと思いこんで。 かわらないひとたちがそこにいて、またこのひとをすきになれてよかった。 またこの曲が聞
眼鏡をみえるものにした。みたいものじゃないものもまたみえるようになった。みつめていかないと、とりこぼさないように。 花粉をいいわけにひきこもっていたらからだがすっかりなまけていて動くのがスローになってしまった。がんばることとがんばらないこと、この区別がむずかしくて目のまえのことに全力投球する癖をなんとかしたいようなしたくないような。実体もままならない入れもののなかでふよふよしてるだけでいたいようないたくないような。どうせ力を注いでしまうなら居場所じゃないところから離れないとな
推しのデビューが決まった。1人も欠けることなくデビューできることがとっても嬉しい。それも世界デビュー。どれだけの努力があったのか計り知れないけれどありがとうといいたくなる。 親友をフェスに誘ってみた。嬉しい返事がきてそれだけでうきうきしてる。ほんわかした気持ちでいれてほんとに好きなんだなと思った。 モアザンワーズをみて、好きなひとは好きだし、いやなものいやなんだな、それだけだなと思った。好きな人たちは憧れでご褒美みたいな存在だからたまにしか会わないけれどなくなったらこまる。
舞う埃が粉雪みたいだった。思いっきり息を吸いこむとくしゃみをした。みえない景色がみえた瞬間なにか変わったような気がする。 いままでみたことない景色がみえたらなんだっていい。恋愛でも勉強でも仕事でも人間関係でも。それが本でも映画でもドラマでも、それだけのために貪欲に生きてる。それだけだけどわたしにとってそれだけじゃない。あとは呼吸ができるような身体があればうれしい。そうすれば身体と魂を分離させて意識しなくて生きるようになれるから。