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30年ぶりの肉の万世

日本へ一時帰国することを両親に伝えたのは、帰国日から数えて約3週間前のこと。

両親は心配性なので我々の帰国日当日の実家までの移動手段、到着時間から滞在先の日程、そして日本を経つ日程などに関して、あれこれ何度も質問してくるのは毎度の事。

また心配性な性格に加えて、年齢を重ねた両親は忘れっぽくもなっている。電話で何度も伝えても同じ質問をされてしまうので、必要最低限の帰国日の内容はLINEメッセージで送り、同じ質問を避ける意味もあるが、両親の心配を少しでも軽減させるのが一番の目的。

メッセージで送りきれなかった重要性の低い事柄は、電話内での会話の流れで少し伝え、ちょっとした事でも

『その日はそうできたらいいけど、当日の様子次第かな』

などと話していたと思う。

コージコーナーのショートケーキを夢中で食べ終えて、口の中に残るホイップクリームの香りの余韻を名残惜しむ。ちょっぴり物足りない僕の視線は、まだ半分以上も残っている妻の和栗のモンブランに。

彼女がケーキから目をそらしたのを確認して一口横取りして食べてみる。

『モンブランも美味しいけど、黙ってつまみ食いするものは何でも美味しい』

と再確認して、妻の視線を気にしながら父親が入れてくれた緑茶をすする。日本で初めに飲む緑茶は、実家で長年味わってきた少し薄めの味わいの飲み慣れた緑茶。

『おにぎりをこの緑茶で流し込むようにしてよく食べたなぁ〜』

と、幼い頃から食べ慣れた母のおにぎりの味が恋しくなってくる。

朝が苦手で朝食を食べないで家を出ることが多かった高校生の頃。

何も食べないで家を出ようとする僕のために、母親は一口サイズに食べやすく握ってくれたおにぎりと、熱々の緑茶を玄関先まで持ってきて僕に食べさせてくれていた。

そんな母親も僕がフランスの就労ビザを取得して、渡仏するまでは、ぽっちゃりだった体型だったが、今はメガネを掛けて背中も少し丸まり、一回り体格も小さくなりやせ細っている。

数年前に父親が体を壊し、父親に合わせて食事療法をしたことがきっかけで健康的にだがやせ細ってしまったらしい。

姉から聞いた話によると健康であるにも関わらず、その見た目に親戚・近所の人から病気じゃないかとものすごく心配されたそうだ。

フランスで就労してから約5年以上は日本に帰国する機会がなく、両親とも対面がなかったため、僕が美食の街で知られるリヨンで暮らしていた頃に一度、両親をフランス旅行に招待したことがあります。

約5年ぶりの再会となる両親をリヨンのパール・デュー駅に迎えに行った時は、母親の容姿の変わりように言葉が出なかった。

以前のぽっちゃりした母の記憶が焼き付いていた僕にとって、元気に笑顔を見せてくれた母親であるにも関わらず、やせ細って小さくなってしまった姿を見たときは、目を合わせると溢れ出してしまいそうな涙を必死にこらえていた。

そんな印象的だった思い出を一瞬で思い出させてくれる実家の緑茶は、特別な存在だ。

実家で数日間お世話になる間、この緑茶が僕を癒やし、たくさんの大切な思い出も蘇らせてくれるのだろうと熱々の緑茶を一気に飲み干す。

雑談を楽しみながら、近況やフランスから持ち込んだお土産を両親・友人に渡し、会話が盛り上がっていると、時間の流れはあっという間です。

外を見ると既に日は沈み、自宅の窓から見えていた上空を通過する飛行機の明かりがよく見えるほど真っ暗となっていました。

時計の針は17時をちょうど過ぎた頃。フランスに比べて日本の日没時間は1時間ほど早いのだと気付かされる。

夕飯を食べるにはまだ早い時間帯でしたが、両親から実家まで送ってくれた友人も含めて外で一緒に食事をしないかという提案。

『どこにいく?近くのお蕎麦屋さん?あそこでカツ丼食べたいな』

と、父親話しかけると

『何いってんの?肉の万世に行きたいって言っていただろう』

と既に決まっていたかのように言い返されてしまう。

そういえば帰国日が決まり、日程の報告を電話でした際に僕から、

『帰国したら僕たち兄弟が小学生だった頃に、たまに連れて行ってもらった肉の万世にいこうよ。』

と提案していたような。。。

そんな何気ない僕の一言を両親が覚えていたので、表情にこそ出しませんでしたが内心とてもびっくりしてしまった。

何故ならば、大切な帰国の日程や時間帯は、何度も帰国前から電話する度に聞き直してくるのに、僕が何気なく提案したレストランでの食事は忘れていなかったから。

肉の万世とは、東京にある肉料理レストラン・精肉店の名前であり、トレードマークの微笑む牛の顔が印象的なお店。

秋葉原にある本店ビルはフロアごとにラーメン・洋食・焼き肉・ステーキレストラン・居酒屋といった様々な業態のレストランが一つのビルに集中しています。

本社ビルでは気軽に食事に行ける予算でも楽しめますが、我が家が利用していた肉の万世は、葛飾区・環状七号線沿いに位置するちょっぴり高級志向のレストラン。

親戚やいとこが実家に遊びに来る際に利用していた他に、夕食時に家族で年に数回連れて行っもらいました。

当時の僕は食事内容というよりも、万世では子供向けに箱に入ったラムネが会計時におまけとしてプレゼントされるのがとても楽しみで、万世に行くのを喜んでいました。

更に箱の中に『あたり』と書かれた札が入っていると、もう一つラムネの箱がもらえるシステムもあり、『あたり』を引くと、

母親が笑顔で『すごいね』と声をかけてくれるのもなんだか嬉しかった。

飛び跳ねながら、『あたり』分のラムネの箱をレジまで走って取りに行った思い出があります。

ラムネの箱を受け取るとすぐに車に乗り込めるようにと、駐車場に止めてある車の横で箱の中を確認していた。

今思い出してみても僕の中に残っている子供心が刺激されて、ワクワクさせられます。

同時に、当時決して裕福ではなかった家庭の事情は子供ながら薄々感じていました。3人兄弟の僕らと両親、祖父母で食事をすれば一度の食事で1万円以上の食事代を支払っていたと思います。

だからメニュー表を見るときは、いつも比較的低価格の1000円以上しない料理を選んで注文していた。両親からしたら余計なお世話だったかもしれませんが、肉の万世に限らず、外食するたびにいつも変な気を使っていたと思います。

そんな僕を察してかは知りませんが、いつも僕の正面に座っていた祖母がエビフライや祖母が大好きなホタテフライを僕のお皿にのせて

『おばあちゃんお腹いっぱいだから食べなさい』

なんていつも早く食べ終わる僕のお皿におかずを分けてくれた優しい祖母。

だから肉の万世では料理の味や内容に楽しんだ思い出より、僕にとっては当時からの家族の優しさや柔らかい表情が思い出されるレストランなのです。

自宅から父親が運転する車にのって約20分。帰国後初めて食べる家族との食事は、思い出の詰まった場所。

約30年ぶりに来る万世は、メニューや価格の違いはあれど、店内の匂い・雰囲気は当時のまま。

今日は両親の他に妻と息子も加わり、そして大切な友人も交えての夕食です。

今夜注文する料理は、値段を気にせずに僕が食べたい料理を注文する。

美味しい時間は一人でも作り出すことができます。でもいつまでも心に留まり、強烈に記憶に刻まれる食事の瞬間は、いつだって大切な人との時間。

今晩の食事だって、きっといつの日にか、ふとした瞬間に思い出される大切な時間になるんだろうな・・・と一人で考えながら、値段の高い霜降り和牛ステーキをミディアム・レアの火加減で注文した帰国日一日目の夕食の始まりです。

それでは、また美味しい体験を書いていきます。

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