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貝3つ(テン・トェンティ・サァティーー!)-ドミニクとの思い出-
私が1カ月半ほどスタッフをしていた、ニュージーランドの僻地の宿。そこは桃源郷と呼ぶにふさわしい環境にあった。最寄りの街からボート2本もしくはダートロードを2時間かけてやっとたどり着くリアス式海岸の先っぽの地。宿の前のビーチにはムール貝、牡蛎、そしてサザエのような貝が取り放題。薪ストーブをつけ、小麦粉を練ってパンやピザ生地をつくりそれに貝をのせて食べたり、カヌーで遊んだり、毎日空には天の川・足元には土ボタルがひかり、流れ星をジャグジーから眺める日々。ド田舎だけど顧客満足度が常にトップクラスのあったかいインテリアの洗練された宿だ。
その当時いたスタッフは日本人4人。みんなこの先自分がどうするのか?何をしたいのか?何ができるのか?それぞれが葛藤の日々だったけど、「便利さだけじゃない豊かさ」を身に染みて実感したのはこの生活が大きかった。
さて、ドミニクはそこの宿に流れ着いたような、初老のフランス人。英語は私たちと同じぐらい拙いないけど、どこか品があり、ちょっとしつこくて、でもLovelyな人だった。端っこの宿というのは、このように、ちょっとあやしいけど、憎めない、そういう人がいたりするのだ。
そんなある日ドミニクの身の上話を少し聞く機会があった。
ニュージーランドに来るまで、南太平洋にいたのだと。いいじゃん!南太平洋!って私たちは思うわけだけど、タヒチをはじめ南太平洋はその開放的なイメージとは裏腹に、かつではフランスの原爆実験の場であった。彼はフランスの企業でそれに携わる仕事をしていたのだと。もしかしたら、それがつらくなってリタイアしてニュージーランドに流れ着いたのかもしれない。何しろ社会に復帰できないような、したくないような、申し訳ないような。ちょっとうつむき加減の寂しそうな。そんな感じ。
そんな彼に、私も「日本では原爆は全く作ってないよ。けど、前に勤めていた会社には、原子力発電をやっている部署もあったの。私は違う部署だったんだけど、うん、だからちょっとだけだけど複雑な心境は分かるかもしれない。」と伝えてみると、、、、
「おーー!同士!!!(アソシエ!!!)」と、なんだかめちゃくちゃ喜んでくれた。(うん、まぁ、正確には大事なところ違うんだけど。。!)
そんなころ、ちょうど私の30歳の誕生日がやってきた。それを知ると、ドミニクはお祝いに小さな魚を釣ってきてくれた(それしか釣れなかったんだけど)。
そして、最後に南太平洋のものと思われる貝を、小さい方から「テン!」「トェンティ!!」「サァティーー!!!」とフランスなまりの英語で言いながらひとつずつ私に渡してくれた。
この3つの貝はドミニクから私への30歳の誕生日プレゼントなのです。
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オーナーの誕生日があったのでそれに向けてめちゃくちゃスタッフで練習したのは良い思い出♡