久々のnote。 少しまた自分と向き合ってみようと思う。 noteを始めて1番初めに、私を作った幼い頃の思い出を書いた。 そして、苦い思い出はもうひとつある。 とても大きく私に影響を与え、私を作った思い出だと思う。 少し前に書いたアメリカ留学の理由にもあったように、10代後半の私は変わりたくてたまらなかった。 その理由にも含まれる、苦い思い出を今日は 書き記したいと思う。 読み手には少し長く、きっと苦いかと。 私は小3、小4、小6と3年間、同じ先生が担任だった。小3の
私は高校卒業後の17歳終わりに、 アメリカ西海岸、カリフォルニア州にある、 サンディエゴという海の街に留学をしていたことがある。 今思えば、この留学の選択は、 昨年知って救われた、HSP(HSS型HSP) という気質に関係していたのではないかと 今は感じている。 高校3年生、17歳の私は進路を決める時 2つの選択肢に悩んだ。 グラフィックデザインを学ぶために 専門学校へ行くか、アメリカ留学か。 絵を描くことが小さい頃から大好きで 高校生の時にはパソコンで絵を描く事が 増
私には今の私を作る、幼い頃の思い出がある。 それは私が小学生の時の、今でもずっと その光景まで残る、忘れられない思い出。 私が小学4年生のある日、毎日のようによく遊んでいた仲良しの友達のお母さんに、私が1人でいる時にこう言われた。 「おばさんね、あなたのお母さん嫌いなの」と。 すごくすごくショックだった。 保育園からずっと一緒で、何かと関わってきた家族だったし、母親同士が話す時は楽しそうにして見えていた。 子供の私から見ても、私の母はいつも笑顔で その人に接していた。