勇気を出して言葉にすることで前へ|Sincère 石井真介さん
緊急事態宣言が発令され、外出自粛が呼びかけられた5月。STAY HOMEでおうち時間を過ごす方々に、少しでもCHEESE STANDらしいメッセージを届けできないかと考えて、私たちのチーズを使ってくださっているシェフの方々をお招きしたインスタライブを企画しました。テーマは「with coronavirus 飲食店の未来を語りましょう」。手前味噌ながら、自由な感性で料理を創造するシェフにご愛用いただいていることもあり、コロナ禍でもしっかりとしたビジョンで、芯のある内容になったと思っています。
全7回のシリーズの第4回目は、東京・北参道にある「Sincère」の石井真介さん。日本の水産資源保護に向けた取り組みを行う料理人グループ「シェフズ・フォー・ザ・ブルー」のリードシェフで、コロナ禍でも料理人が中心になって医療従事者にお弁当を届ける「スマイルフードプロジェクト」の中心シェフとしても活躍された石井さんに、ウィズコロナ・アフターコロナの飲食業界と社会のかかわり方についてCHEESE STAND代表の藤川真至が聞きました。(インタビュー日:2020年5月19日)
妻の一般的な目線が僕の視野を広げてくれる
――コロナによって、仕事以外の時間が増えたと思いますが、石井さんはどんなことをされていましたか?(藤川、以下同)
今は、夜の7時とか8時には家に帰れるんで、子どもと料理作ったりしてます。今までは朝が早くて、夜も家族が寝た頃に帰るので、夜ごはんを一緒に食べられないことが多かった。子どもといっしょに野球を見ながら夜ごはんを食べるのに憧れるんですが、休みの日しかできなかったですから。
あとは友人たちのお店の料理を買って帰ってきて食べるのが楽しみです。テイクアウトの勉強というのもありますが、友だちを応援することにもなると思っています。元麻布長江で、今は「慈華 itsuka」をやっている田村(亮介)さんの「よだれ鶏」がほんとうにおいしくて。よだれ鶏のタレは、野菜にかけても魚にかけてもおいしいので、めちゃかけまくってます。
――シンシアでも、コロナ以前からお土産商品や通販などをやってましたよね? どういったきっかけで始めたんですか?
シンシアの前身ともいえる「バカール」のときから通販には力を入れていたのは、通販のwebデザインをやっていた妻の影響です。
スタッフ50人くらいの大きなレストランで働いていたとき、12月にめいっぱい働いて売り上げ9000万円達成して喜んでいたことがあったんです。そのことを妻に話したら、妻の会社は5人くらいで1億5000万円達成していた。その時に通販はいすごいと思ったんです。レストランは来た人に料理を出す事しかできないから。限界があるんです。そこで、菓子製造の許可をとって、お菓子を中心に通販を始めました。
今は、テリーヌカカオの評判がすごくよくて。以前までシンシアのパティシエしてくれて、今は兜町に「ease(イーズ)」をオープンさせた(大山)恵介が作ってくれたものなんですけど、太田(哲雄)さんの「アマゾンカカオ」を使っていて、通販でものすごくリピートしてくださる方が多い。シンシアで食べに来られた方も、お帰りに買って帰られるんです。未だに、つねに売れ続けていて、コロナ禍ですごく助かっていますね。
――レストランをやりながら通販をやっているお店って珍しいから、どんな考えで始められたのか気になっていたんです。奥さまの影響があったんですね。
妻は、飲食の人ではないので、僕とは違って「お客さま目線」に近いですよね。たとえば、妻とレストランに行くと、僕は料理人目線で「すごいよね」っていうところも、「おいしいけど、これはこうだよね」とか。妻の目線がアドバイスや気づきになったりするんです。
瞬時にスタートした「スマイルフードプロジェクト」
――コロナ禍で医療従者の方々にボランティアでお弁当を届ける「スマイルフードプロジェクト」や、日本の水産資源保護を目指す料理人グループ「シェフズ・フォー・ザ・ブルー」など、社会問題に対してアプローチをされています。石井さんのそういった活動を支えるものってなんですか?
「シェフズ・フォー・ザ・ブルー」は、もう3年くらい活動していて、今は料理人が30人くらいいます。日本の水産資源の現状、たとえば、国産のイメージが強い「サバの文化干し」とかのサバはほとんどがノルウェー産だったり。知らない間に、海外産の魚介になっていることが多いんです。
日本は流通が素晴らしすぎて、マグロが無いといわれながら、マグロが食べられたり、ウナギが無いといわれながら、ウナギが食べられたりするんです。そこに知らない怖さがあると思うんです。それを知っていくと、思い込みや情報操作されているようなことが多くて、それなら自分たちで日本の解散資源を保護していくような取り組みをしようと始めたんです。
「スマイルフードプロジェクト」は、コロナ禍の4月6日に僕のFacebookの投稿がきっかけで始まりました。フランス在住の日本人シェフ、関根拓さんや木下隆志さんが医療機関にお弁当を届けようとしている動画を見て、日本人にとってアウェーといえるフランスで、支援するっていうのは「すごいな」と感動したことがきっかけなんです。
すぐにサイタブリアの石田(聡)社長が電話をくださって、「サイタブリアでもやりたいと思っていたから、一緒にやろう」と言ってくださったんです。サイタブリアには、医療機関とのパイプもあるし、衛生管理が行き届いた大きなキッチンもある。すぐに広告代理店のNKBさんがサポートしてくださり、さらにディレクションや映像の方々もつぎつぎに集まってくださった。自分たちだけでは不足しているものが、ババババっと一瞬で揃って、4月6日の投稿から1週間後の4月13日に最初のお弁当を届けられたんです。すごいスピードでした。
――ほんとうに、すごいことですよね。
僕ができないことをみなさんが集まってやってくださって。毎日昼と夜、あわせて200個近くのお弁当を作っています。
僕たち料理人は、想うことがたくさんあっても、料理をすることが僕たちの仕事なので、人に話すことって難しいと思うんです。だけでども、今回のコロナ禍のような事態で、結城を出して一歩踏み出すことは大事なんだということをすごく感じましたね。
いますごくやりがいを感じているもので、僕自身の力にもなっています。学ぶことが多い活動です。
――僕らはあくまで一次加工品のチーズを作っている立場なので、食材を提供することしかできないと思ってしまうので、石井さんたちをはじめ「シェフズ・フォー・ザ・ブルー」やサイタブリアのチームのみなさんのような方々がいらっしゃるのが本当にうれしいんです。
そんなことないですよ! 藤川さんたちもコロナ禍で苦しいのに「スマイルフードプロジェクト」のためにチーズを提供してくださったじゃないですか。コロナで行き先を失ったマンゴーを提供してくださったアララガマ農園の池村(英勝)さんもそうですし、一次産業のみなさんの方が苦しいのに支援してくださって。40過ぎると涙もろくなるというか、僕たちの方が感動させてもらってるんですよ。
――料理人の方々が社会と関わっていく時代になってきて、石井さんが「一歩踏み出す勇気」といったように、ウィズコロナ・アフターコロナの世界でも発信していくことことが大切になってくると思いますか?
僕たちの世代は、厳しく指導を受けて育った世代。次の世代は、ちょっと違って、SNSを上手く使ってやっていますよね。料理というものが変わってきています。
それはコロナとか関係なく世代によってやることは違ってくると思うんです。僕をふくめて今40歳に近い世代は、もちろんSNSを使って柔軟に時代に対応してはいますが、サムライみたいな強い意志は持っている。
僕たちを指導してくださった巨匠シェフの方々は、フランスから本物のフランス料理を日本にもってきてくださいました。当時はフランスの食材が日本になくて、日本の食材で代用されていました。そのうちフランスの食材が日本でも手に入るようになって、フランス料理を日本で再現ができるようになります。
そのあとに続く僕たちの世代は、フランスと同じことせずに日本の食材でフランス料理を作ろうとしているんだと思うんです。そういう意味では、巨匠の方々の世代とは違うと思う。
食材の仕入れでみても僕が若い頃は毎日築地に行くのが料理人の誇りみたいなところがありましたが、今は生産者さんから直接届けてもらうようになりました。
僕がいましているような活動も、20年前にはなかった。「料理人は厨房に立って旨い料理を作る」そんな時代だったと思うんです。でも、いま世界を見てみると、社会活動とか携わってくださっている生産者さんの想いを、料理人が伝えるというのはマストになっています。そういったことを見ても時代が変わったと感じますよね。
「長いものに巻かれない」真田幸村のサムライ精神
――石井さんの柔軟な考え方って、なかなかできないですよね。何かベンチマークにされている方とか、影響を受けた愛読書などありますか?
もっぱら池波正太郎さんの『真田太平記』です。歴史が好きなんですよ。旅に行くと城に立ち寄るんですが、その際は妻は城には登らず下で待っているような(笑)。
――ええ!僕も同じ。お城大好きです。
マジですか!? 歴史とかサムライは、男はなんか憧れますよね。
――石井さんのなかにはサムライっていうキーワードがあるんですね。
僕が真田幸村がいくつかある好きなポイントのうちの一つに「長いものに巻かれない」というのがあります。最後に徳川家康から領地を用意する代わりに豊臣方を裏切れという誘いを受けるんですが、裏切らなかったんです。自分が決めたことを、負けるとわかっていても、わずかな可能性をあきらめずに最後まで貫く姿勢が、すごくかっこよくて好きなんです。
世論とか、世の流れにまかせるのではなく自分らしさや自分の考えをきちんと持てるような、真田幸村のようになりたいと(笑)。
実際、4月に営業自粛があったときもすでに予約が入っていて、経営者的には「営業したいな」と思ったんです。どもそんな時こそ僕は「営業をやめる」って言っちゃうんです。後ろ向きに迷っているときは、前を向くように決めちゃうんです。そうすると引けないじゃないですか。
「武士は食わねど高楊枝」みたいな。サムライの潔さですかね。そういうことをいつも考えています。
――僕もバックパッカーをしているときに、ホームステイ先の本棚にあった新渡戸稲造の『武士道』を何度も読んで「サムライかっこいい」って思ったんです。あとは司馬遼太郎も好きです。
ああー、司馬遼太郎は僕も好きです。なんか、描写が官能的。エロいんですよね。
――『燃えよ剣』の冒頭とかですよね。
そうそう(笑)。池波正太郎と司馬遼太郎が大好きです。
――ちょっと脱線しちゃいましたね。サムライの話はまた今度(笑)! インスタライブを視聴してくださっている方から「コロナ禍で飲食店はどうかわっていくと思いますか?」という質問が届いています。
毎日いろいろなシェフと話しているんですが、先のことはまったく読めないですね。
じつは「スマイルフードプロジェクト」を始めた理由に、もちろん医療機関の方への支援というのがあるのですが、料理人の技術や知恵をもっと正当に評価してもらいたいという想いもあったんです。
今回、コロナ禍にあって飲食への国の政策がかなり遅れましたよね。フランスで関根さんや木下さん、二人とも言っていたのは「フランスが早々と売り上げの7割りを保証することを早々と決めてくれたおかげで、安心して医療機関への支援ができました」とおっしゃっていたんですね。
それがすごい大事で。日本は、飲食店の営業はいいけど、みんな外出ちゃダメですっていう、頓智みたいなことが起こっていて。「じゃあ、オレたち料理人はどうすればいいの?」ってなってしまうわけです。
「レフェルヴェソンス」の生江(史伸)さんとも話していたんですけど、これだけテレビで「飲食店は危ない」って報道されたら、これから飲食に入ろうとする若者が少なくなってしまうだろうと。そうならないためにも社会に貢献できる「憧れられるシェフ」にならないといけないと思うんです。
その点で「スマイルフードプロジェクト」は、医療機関にお弁当を届けて希望を持ってもらうという”国にできなかったこと”ができたわけです。それはお金ではできない、料理にしかできないこと。でもそれって、ふだんから僕たちがレストランでやっていることなんですよね。
僕は、料理の力を信じています。
――「コロナ終息後のマスコミに求めることはありますか?」という質問も来ています。
コスパ、コスパで評価をする時代は終わってほしいなと思います。安くて旨ければいいわけではない。背景にあることや、唯一無二のもの、生産者のことを考えても、それに見合った値段にしていかないと生き残っていけないと思うんです。
レストランの評価は、もっとシェフの人間性や活動だったりを重視すべきだと思うんです。お店の評価基準を根本を変えないとおいしいお店がなくなってしまうんじゃないでしょうか。
ウィズコロナ・アフターコロナでは、レストランの形も料理人も大きく変わらないといけないと思っています。満席にできないし、夜遅くまでの営業もできない。長時間、3時間4時間もレストランで過ごすこともできないかもしれません。世界的にガストロノミーがなくなって、長時間の多皿コースを食べる文化が世界からなくなるんじゃないかともいわれています。根底を覆されるような状況になるかもしれない。もう元には戻らないと思うんです。
モッツァレラもおいしいけどリコッタがおすすめです
――CHEESE STANDのチーズを使ったおすすめの食べ方とかあれば最後に教えてください!
藤川さんのリコッタが大好きで、毎回メニューかえてもコースに入れているくらい。僕のリコッタの概念が変わったんです。朝食でフロマージュブランやヨーグルトのかわりに、あえて濃厚に食べたいと思ったら、あえてリコッタを牛乳や生クリームでのばして、フレッシュなフルーツやハチミツとかで食べるとすごいおいしいんですよね。
モッツァレラは有名ですけど、ぜひリコッタを食べてもらいたいですね。
Shinsuke Ishii
調理師学校を卒業後、「オテル・ドゥ・ミクニ」や「ラ・ブランシュ」を経て渡仏。フランスで本場の二つ星、三つ星レストランを経験し、2004年に帰国。その後、「フィッシュバンク東京」でスーシェフを2年間務め、2008年より「レストランバカール」のシェフを7年間務める。2016年4月、自身のレストラン「Sincère(シンシア)」をオープン。
文・構成=江六前一郎
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「with coronavirus 飲食店の未来を語りましょう」の第5回は、オーストラリア・メルボルンのレストラン「Amaru」の吉野勝治さんです。CHEESE STAND公式noteをフォローしていただいて、次回もお見逃しないようにしてくださいね!
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