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まわりに支えられた創業1年目|C.S. STORY 2012-13
株式会社nobiluを設立したのは、2012年3月でした。イタリア語のnobile(フランス語ではnoblesseと同義、高貴なという意味)と、チーズが「のびる」や、自分たちの成長といった意味でnobiluと名付けました。
この時僕は、29歳。前職のドーナツ屋では、店舗の立ち上げを経験し、マネージャーとして一通りの管理ができるようになっていました。後にCHEESE STANDとして立ち上がることになるフレッシュチーズ専門店の構想もかれこれ10年近くになり、30歳を目前に、いよいよ形にする時期がやってきたのです。
チーズとの出合いを温め続けた10年間
チーズとの出合いは、大学在学中に世界中をバックパックを背負いながら旅した時でした。
イタリア南部のナポリを訪れ、食べたピッツァに感動して、CAPASSOというお店に飛び込みでお願いして修業をさせてもらったんです。ナポリの町で働いてみてみると、チーズ屋さん(近郊の農場で作ったものを売る店)がいたるところにゴロゴロとある。それは、日本のひと昔前の豆腐屋さんのような光景で、それぞれのピッツェリアやトラットリアだけでなく、各家庭にまで贔屓にするチーズ屋さんがありました。
ピッツァが主食のナポリだから当たり前かもしれないですが、その時に食べた、濃厚で滴り落ちるようなミルク感、出来たてならではの噛むとキシキシというような食感にものすごく感動しましたのを覚えています。
あの感動を皆さんにも味わって頂きたい。出来たてのチーズのおいしさを身近なものにしたい。そんなことを10年も思い続けていたわけです。
ちなみに日本に帰国後、大学に戻るわけですが、イタリア語学科での卒業論文のテーマを「日本で水牛モッツァレラはつくれるか」にしたほどです。しかし、実際に取り組んでいくうちに 、今考えれば当たり前なのですが、チーズを作る前提にある畜産の内容になってしまい教授から却下されました(このチーズと畜産のことでいずれ苦労することも知らずに)。
そして、代わりに仕上げたテーマが「イタリアの水牛モッツァレラ」でした。この卒論のために、再びナポリの大学にも調査にも行っています。
何が言いたいかといかというと、それぐらいチーズがずっと好きだったということです。
念願だった「CHEESE STAND」オープンへ
前職のドーナツ屋を辞めたのは、2011年10月でした。それ以来本格的に開業準備に取り掛かるわけですが、実はその年の初め頃から少しずつ動き出してはいました。
物件が決まったのは1月後半。その後、4カ月でオープンですから、あっという間です。
今も現役の看板娘の牛のオブジェも、5月にようやくやってきました。「カウパレード」というスイスで発祥したアート運動で使われる真っ白な牛のオブジェで、最初に来たときは、下のようなペイントがなされていました。
このオブジェを自分たちで白く塗って、角とお乳のところだけクリーム色に塗装し直しました。
2011年4月頃には、レストラン・プロデューサーとして人気の中村悌二さんが開講した、飲食経営者向けの私塾ともいえる「スクーリング・パッド」に通い始めて、週に2度土曜に講座を受けていました。
「都会のチーズ屋さん」のコンセプトは、アイディアを思いついては事業計画書としてパワーポイントにまとめていました。最終的にオープンする頃には、100ページを超す内容になるわけですが、この頃から事業計画書の内容もかなり具体的に現実味を帯びたものになっていったと思います。
今みると恥ずかしくて対したことはないですが、事業計画はすごく時間をかけて作りました。それこそ、小さなアイディアまでも積み重ねて10年間コツコツと。店の外観をスケッチしたりもしていました(下の画像)。現在のCHEESE STANDでもアイコンになっている牛の実寸像もこの頃のスケッチにあったんですよ。
事業計画を書き始めたのも、いずれくる日のためにと自然に始めたことです。20代の頃に読んだ「スープストック トーキョー」の創業者である遠山正道さんや、「タリーズコーヒー ジャパン」の松田公太さんといった飲食業の実業家の方の本にも、事業計画を書いていたということもあったと思います。
僕自身は、インプットしたものからしかアウトプットはできないと思っています。若い頃から雑誌を読んだり、旅をしたりしてきたことで、知ったこと見てきたことを書き残してまとめておくのは、自分にはあっていたと思っています。
「街に出来たてのチーズを」というコンセプト自体は、事業計画をずっと考えていたこともあってブレずに開業に向かうことができました。CHEESE STANDという名前も、なかなか出てこずに難産だったんですが、一度生まれてくれたらこれしかないというくらい気に入っています。
ちなみに当初店名案には「The Cheese Shop」や「CHEESE FOR CITY」、 「4 CHEESE SHOP」、「Daily Cheese Shop」などがありましたが、なかな決まらずにいたんですが、チーズに対して肩肘張らずに、フラっと立ち寄れるという意味でCHEESE STANDという名前をつけました。
店のコンセプトも決まった、店名も決まった。あとは開業準備を進めるだけといくなかで、大きな問題になったのが「牛乳の仕入れ」でした。
乳製品の新しいプロダクトを作る小規模メーカになるためには、いろいろなルールがあるんですよね、そういったことをまったく知らなかったんです。
現在は、酪農業協同組合に所属している酪農家さんは、絞った牛乳の一部を一般に販売することが許されるようになったのですが、当時は、自家消費枠以外は一般に売ってはいけないという決まりがあったんですね。牧場で販売しているソフトクリームなどはこの自家消費枠を使って販売しています。
僕たちは東京産の牛乳を使いたかったのですが、それでも少量の牛乳しか使えないので、なかなか牛乳を分けてもらえなかったんですね。
当初は、1日100 kgでチーズ屋をやろうとしていたんですね、牛乳100本分。それって、1日100tとか搾乳する牛乳メーカーさんでは、微々たる量なんです。0.1tを東京まで運ぶなんてありえなかったんですね。絵は描けていて物件も契約済みなのに、肝心な牛乳が手に入らない。
何とか小さな酪農家さんにお願いしてまわって、少量ずつ分けてもらえるようになってなんとか開業にこぎつけることができたのです。
オープン前、磯沼ミルクファームの磯沼さんと
いよいよオープン。品質はしっかりしたい
2012年6月4日にCHEESE STANDは、オープンしました。オープン当日のことは、実はあまり覚えていないんですよね。このnoteを読んでくださっている人のなかで、来ていただいた方がいたら申し訳ございません(笑)。
とにかくたくさんの方に来ていただいて、忙しかったことは覚えています。
開店当初は、いま思い返すと何もかもがグチャグチャでした。
オープン前から社員がいなかったし、うまく採用も進んでいなかった。スタートしたときもアルバイトの大学生が一人で、どうしても人が足りなくてその人の恋人に来てもらっていました。どうしようもなかったなかで高校の友だちがちょうど予定が空いていたので、店をオープンする半年前で1週間住み込みで働いてもらったりしていました。
僕自身も製造から接客、事務、経営と全部やっていて。チーズを始発で出社して朝5時から作って、終わったらチーズ工房の掃除して店舗に入る。昼間も製造に入って牛乳に乳酸菌を入れて凝固するまで1時間くらいあるから、その間に銀行にいってくるような日々を過ごしていました。
さらに、オープンから1、2カ月したら都内の飲食店向けの卸もおかげさまで増えてきたので、製造したらバイク乗って配達に回ったりもしたり、1人で全部をやっていたましたね。その頃は、荒川区の町屋に住んでいたので、帰りの電車で何度も寝過ごしたりしていました。もう耐えられくてすぐにお店の近くに引っ越してきましたけど(笑)。
配達で使っていたカブ。
当初は、僕がチーズ職人までする予定ではなかったんですよ。エジプトでイタリア系のチーズメーカーで働いていたエジプト人のモハメッドさんが職人としてオープンから入る予定でした。モハメッドさんの奥さんが日本人で、当時情勢が不安定だったエジプトから日本に移住する際に職を探していました。
しかし、モハメッドさんの入国が遅れて、オープンに間に合わなくなったんです。それで、オープンから2カ月間は、僕一人がチーズ職人を兼任する形で始めました。
チーズ作り自体は、イタリアにいた頃に工房を見学させてもらったり、卒論もモッツァレラだったりしたこともあって、イタリアで買ったきてあった本を読んで学んだりしていました。北海道のチーズ工房を見学させてもらったりもしていました。また、何かあるかもと思い、磯沼ミルクファームさんや自宅でモッツアレラやリコッタを作っていました。
ただ、チーズ業界の出身でもないし、飲食店出身でもない僕みたいなものが急にチーズ業界に出てきてびっくりしたんじゃないですかね。どちらかというと、良く思われていなかったんじゃないかなと思っています。
「奇をてらっただけ」、「本質的なチーズではない」と思われていたんじゃないかというのが僕の中にあって、チーズの味を良くする努力は、とにかくしてきましたし、今もその気持ちは変わっていません。
同じ奥渋の「SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS」のオーナーの福井さんから、「飲食店だったら味がすべてでしょう」といわれたのは今でも鮮明に心に残っています。だから、チーズのコンクールに積極的に応募して賞を目指そうとしたのも、そういったことに対して、「チーズを真剣に作っているんですよ」ということを知ってもらいたかったからだと思っています。
お客様の声を受けて半年間で営業形態を大きく変更
オープン当初は、珍しい小売店の形態もあって、テレビや雑誌などに開店当初から取材をしていただいて、ありがたかったですね。
しばらく会ってなかったSNS(当時はmixi)でつながっていた昔の友人や新たい繋がった人たちが来てくれたり、けっこうたくさんの人がきてくれたんです。CHEESE STANDを集合場所に使ってくれたりして、すごく嬉しかったですね。
表からは何屋さんかわからないという声があったので
急遽メニューを掲示していた時期もありました。
だけど、オープンして半年たって、お店の形態を大きく変えることになります。
当初は多店舗展開していく予定だったので、アルバイトでもできるサンドウィッチを中心にした、今とはちょっと違ってカフェ形態だったんです。昼夜通しで同じメニュー。食事は、モッツァレラとリコッタのプレートと、チーズを使ったサンドウィッチで、ドリンクは、今とは違ってお酒はなくて、コーヒーやホエードリンク、紅茶くらいですごく品数が少なかったんです。
それが、なかなか売り上げが上がらなかったんです。それはそうですよね、単価500円台のサンドイッチと600円くらいのリコッタやモッツァレラとドリンクでは、1人1,000円もいかないですからね。
やっていることと立地などがアベコベでした。いつか卸の売り上げが追い抜くとおもっていましたが、飲食店のテコ入れをしなければいけないなとなった時に、まずお客様の声を聞くようにしたんです。
まずは、「もっとメニューが欲しい」というご意見もずっと多くありましたので、7月には「チーズショップが作るピッツァ」をコンセプトにカフェメニューにピッツァを追加。ピッツァの生地は、ナポリピッツァの生地もおいしいし、ローマ風に薄かったり、アメリカンみたいに分厚かったり、いろいろとあるなかで、CHEESE STANDらしく素材にこだわろうということで、今も使い続けているグラハム粉入りの香り豊かな生地を使うことにしました。
チーズ職人のモハメッドさんの力を借りてチーズアイテムの数を増やすことにも力を入れて、カチョカバロを10月に発売したり、ブッラータを12月に完成させたりしました。
なかでもブッラータは、モッツァレラタイプのチーズを巾着状にしたものに繊維状にしたチーズとクリームが入っているイタリア・プーリア州の伝統的なチーズで、2カ月ほど開発に時間をかけました。国産のブッラータとしては日本初めてでした。
発売当時のまだいびつな形のブッラータ
オープン当初から卸先やレストラン関係者の方から「ブッラータは作らないの?」といわれていたのが製造のきっかけ。しかし、作ったこともなければ、イタリアから空輸したものを食べたのも数回だけでしたらから、試作をしても中身のクリームが固まってしまったり、ストラッチャッテラという繊維状のモッツァレラのヒモがうまくつくれなかったり、外の巾着上の部分が破れたりとなかなかうまく作れませんでした。
それでも、イタリアから輸入品を取り寄せて中身を確認したり、チーズに詳しい方のアドバイスを聞いたり、同時期に作り始めていたベトナム・ホーチンミンで「Pizza4P's」をオープンさせた益子陽介さんとお互いのブッラータを食べ合ったりして、2カ月ほどトライ&エラーを繰り返し、ようやく安定した商品が作れるようになってきました。
また、イタリアのブッラータは、巾着をビニールひもでしばってあったりするのですが、衛生面などを考え、チーズで紐をつくってみたのは、CHEESE STANDのオリジナルなポイントです。
あとは、あくまで「出来たて」を食べに来てほしかったのでオンラインショップはやらないつもりだったのですが、お客様から要望があってからすぐに11月に開設できたのは、右腕として働いてくれていた、リヴァンプなどにいた今井陵太さんの存在大きかったです。
さらには、チーズとお酒と一緒に飲みたいという声をいただいて。2013年2月には妻でソムリエの千鶴の力を借りて、ワインを飲めるようにしたり、シャルキュトリなどもメニューに加えて、今のような営業形態になっていきました。
嬉しいことだらけ、一人ではできなかった1年
1年目は、ほかにもチーズと一緒に飲むワイン会や、チーズ作り体験会といったイベントも開催できましたし、奥渋周辺のブランドとのコラボイベントもできたり、忙しかったけどとても楽しかった1年間だったと思います。
そして同時に回りで支えてくれるスタッフの存在だけでなく、店舗デザインをしてれた上間理央さん、CHEESE STANDのロゴをデザインしてくれた太田貴子さんや周りで支えてくれる方々の存在などに対してもありがたさを実感した1年でもあったと思います。一人でやっていると、自分自身がボトルネックになるし、出来ることなんて知れている。そうつくづく感じました。
それは、店作りだけではありません。もちろんお客様がいたからこそ1周年を迎えることが出来ました。
ご近隣にお住まいや近くにお勤めのお客さまだけでなく、新聞やテレビを見て全国から多くのお客様にご来店いただき応援して頂ました。
新聞やテレビ、雑誌、ラジオ、ネット媒体などで取材していただいたメディアの方々、ライターの方々にも感謝しかないです。
また百貨店や小売店などのお取り引き先さま、レストランやバーなど多くの飲食店の皆さまにチーズを使ったり紹介してもらえたことで、自分たちが成長することができたと思っています。
個人的に嬉しかったことは店舗という「場」をもつことで友人が何度もこの場をつかってくれたり、地元の友達や中学、高校、大学の友人が来てくれたり、牛乳関係者、チーズ関係者の方が応援してくださったり、新しい出会いがあったりと、本当に嬉しいことだらけの1年目でした。
「CHEESE STAND STORY」は、2022年のCHEESE STAND10周年に向けた連載企画です。創業から1年ずつ振り返っていきます。
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語り=藤川真至
文・構成=江六前一郎