「月曜から夜ふかし」でブッラータがブレイク|C.S. STORY 2013-14
オープン1周年になる2013年6月4日は、何かイベントをとも考えましたが、自分たちの実力をもっとつけて3年目を迎えられたら盛大にイベントを開こう決め、平常通りの営業をしました。まだまだひよっこ、いや子牛っこ。
営業後にひっそりと社員研修(という名のスタッフ飲み会)で終わった1周年でした。
「CHEESE STANDといえば東京ブッラータ」と
認知してもらうきっかけになった
2013年から14年の2年目でもっとも大きな出来事といえば、2014年3月10日に放映された日本テレビ系《月曜から夜ふかし》にCHEESE STANDを取り上げていただいたことです。
幻のチーズとして「東京ブッラータ」を紹介してもらっただけでなく、僕自身もスタジオにいってモッツァレラを練り、出来たてをマツコ・デラックスさんと関ジャニ∞の村上信五さんに食べていただきました。
おかげさまで翌日は、火曜日にもかかわらず渋谷店にたくさんのお客様に来ていただきましたし、オンラインショップも注文メールが止まらない。嬉しい悲鳴というよりも「どうしよう……」といった気持ちだったのは今でも忘れません。
それからは、土日の製造量を倍にして対応することになり、店舗の週末の行列は、放映から3年ほど経っても続いて、2016年に姉妹店の「& CHEESE STAND」をオープンさせるころまで続きました。
とくに日本初の国産ブッラータとして開発した「東京ブッラータ」を知ってもらえるきっかけになって、カフェでも持ち帰りでも、通販でも圧倒的に注文が多くなりました。多くの人に「CHEESE STANDといえば東京ブッラータ」と認知していただけるようになったきっかけは、間違いなく《月曜から夜ふかし》でした。
しかし一方で、僕たちの準備以上にお客様に来ていただいたこともあって、「並んでいてまったく入れない」や「スタッフの対応が悪かった」という評価をいただくこともあって、ある面では店の評価が下がってしまいました。
多忙な毎日のしわ寄せがスタッフにいってしまい、疲弊していたというのもあると思います。だからといってお客様に不満が起きてもいいというわけではありません。そういった声があがってしまうのは、僕が経営者としてマネジメントができていなかったというほかありません。
オープン2周年のころには、友人や知人、卸先のレストランさまなど多くの方のおかげで、Facebookでも4000いいね!を超えました。卸先のレストランさんや小売店さんも2年前にくらべて5~6倍になっていました。
評価をいただいているからこそ、それまで以上に現状を危惧している部分もあり、もっと改善していかなければいけないと強い気持ちを持っていたのを覚えています。
笑顔で接客できているか?
商品の質にブレはないか?
こちらの都合で何か不快な思いをさせていないか?
電話応対は?
などなど基本的なことからです。
そして圧倒的にチーズの質を高めていきたい。そんな思いから、2周年を迎える直前の5月に製造メンバーだけでなくカフェスタッフも含めたメンバーで、さまざまなチーズの勉強会をしたりもしました。
(チーズの勉強会)
2周年を迎えて強くなったチーム力
実は、《月曜から夜ふかし》が放映される前にチーズ製造長のモハメッドさんが退職したこともあって、1月くらいから僕が製造に入っていました。
モハメッドさんが退職理由については、彼が決めたことなので僕が話すことではないのですが、頼りにしていた人の退職で、スタッフに対しての働きやすさや給与を含めた待遇面の改善が必要であることは、それから経営者として長く続く苦悩したことの一つでした。
今でこそスタッフの週休2日や勤務時間の管理をして、働きやすい職場作りを意識していますが、当時の僕は、週休1日であることや、長時間労働に対して「飲食業は仕方ない」と思っていた部分がありました。
僕自身が、名古屋のピッツェリアに勤務していた時代は、朝8時半から23時まで働いていましたが、それ自体は苦でもなかったし、さまざまな経験ができてありがたいと思う部分もありました。飲食業で独立したいならハードに働いてほしいとも思ってもいました。
しかし、SNSで他業種の考え方が広く知られるようになると、飲食業のなかで働いている人たちの意識も変わっていきます。僕自身も、創業当初から考え方も大きく変わっていますし、そういう意味ではCHEESE STANDの歴史を振り返ってみると飲食業界の変化も見えてくるかもしれないですね。
話が少しそれてしまいましたが、モハメッドさんがいなくなってからは、僕が製造に入り、それでもなんとか《月曜から夜ふかし》の反響を受け止めることができたのは、マルちゃんやしずかちゃんといったスタッフの頑張りのおかげだと思っています。
さらに2014年2月に、妻の千鶴がCHEESE STANDに入って、ホール担当として接客してくるようになりました。えりこちゃんやあゆちゃん、みなみちゃんといったアルバイトも増えて、カフェのスタッフはとても充実していたと思います。製造のほうは、僕がコアな部分を担当し、もう一人のスタッフでなんとか乗り越えられました。
この時期のスタッフは当面の間、すごく強いチームだったと今でも思います。
(33歳の誕生日をスタッフに祝ってもらう。
3のつく数字のときの変な顔)
イベントや新商品の開発を積極的に
CHEESE STANDの2年目は、自分たちで考えたことをどんどん実行しようとした1年だったと思います。
店舗でのワイン会や、その場で練り上げた出来たてモッツァレラを食べてもらうイベントは、1年目からやっていましたが、自分たちではなく社外の方が企画してくださったものでした。
今度は、自分たちでイベントを企画して運営していこうと、2年目に入ってすぐ6月19日にチーズ作り体験イベントを開催しました。15名の参加者にお集まりいただき、チーズ実演から、実際にお客様に練っていただきお楽しみいただきました。
(出来たてチーズのイベント)
7月と8月にも続けて体験イベントを行って、たくさんの方にきていただけました。渋谷店のスタッフが参加して行うもので、ワチャワチャして楽しかったのを覚えています。
店長のマルちゃんが、僕よりスムーズに司会進行をしてくれたのも、新たな一面が見れた気がしますね。当時は、今ほど出来たてのモッツァレラを食べられる店がなかったですし、しかも自分でモッツァレラを作れるというのは、かなり衝撃的だったと思います。
7月からは、カフェの新メニューとして「ブッラータのサマーフルーツプレート」を発売。これが好評で、季節ごとにメニューを変えていくシーズナルメニューとしてシリーズ化していきます。9月にぶどうとブッラータ、11月にリンゴ、翌2014年1月は金柑のフルーツブッラータを発売しています。
ちなみに金柑は、今でも大好きなブッラータメニューです。
(金柑のフルーツブッラータ)
ブッラータ自体の季節商品としては1年目の春にブッラータの季節商品として「桜ブッラータ」をリリースしていました。さらに2年目の秋(10月)には、「トリュフブッラータ」も発売。この2商品は、今も季節のブッラータとして人気の商品ですね。
(桜のブッラータ)
今も季節ごとに制作している、CHEESE STANDのチーズを使ったレシピカードを始めたのも2年目の8月からでした。
小さな会社であっても広報担当を置く
お客様から「モッツァレラはカプレーゼ以外にどう食べるの?」「リコッタの食べ方がわからないから教えて」という声をよくいただいていたので、おいしく食べていただく提案として、レシピカードを制作しようとおもったのです。
(記念すべき1回めのレシピカード)
当時、広報をしてくれていたなっちゃんが中心になって作ったもので、彼女が通っていた料理教室の先生で料理研究家の澤田美奈さんにレシピをお願いしました。
今もそうなのですが、このレシピカードは、撮影から裏面のデザインまで店舗のスタッフが自分たちで作って印刷までしているんですよ。
小さなプロダクトであるCHEESE STANDが、この頃からすでに広報担当を置いているのは、珍しいかなと思っています。僕自身、オープン前からブログを書いて思いを発信するようにしてきて、それによってファンが増えてきた実感があったので、情報を発信していく重要性は感じていました。
店をやるならそれを個人ではなく、公式に発信する必要もあると思い、EC通販を立ち上げたり創業当時に右腕として活躍してくれた今井陵太さんの紹介で入ってくれたなっちゃんの加入はありがたかったです。
2年目になってもおかげさまでテレビや雑誌などのメディアの取材を多く受けていましたので、製造に入っている僕がプレスの対応をするのはきつかったですから、そういった意味でも助かっていました。
ちなみに、これまで創業時から取材してもらったメディアの情報は、オフィシャルサイトにまとめています。僕たちは何の後ろ盾がないなかで初めたので、こうやってまとめていくことで、たとえばチーズの卸の話をする際にも相手からの信頼にもなると思っています。
この年のメディア掲載でとくに印象に残っているのは、『HUgE』8月号 「食べる つながる」という特集です。
(『HUgE』8月号 「食べる つながる」)
特集ではシェパニースや、ブルックリン、Nomadic Kitchenが紹介されていて、そのお店や町に感化されてさてきたものとしては、同じ特集に載れたのは本当に嬉しかったですね。
インプットしたことでしか
アウトプットは生まれない
2年目の年越し(2013年から14年)は、ニューヨークで過ごしました。
アメリカはすごく好きな国で、オープン前にも視察で行ったのですが、ちょうど2011年くらいから、小規模の製造者、クラフトマンたちが魅力的な店をどんどん開いていった時期だったんです。ブッラータの新しい食べ方を探したり、店作りするにあたって刺激を受けたいというのが大きかったですね。
ニューヨーク・ブルックリンへは、オープン前に僕が感じたアメリカの食の温度感を、新しくチームに加わることになっていた妻の千鶴と共有するために一緒に行きました。マイナス18℃とかすごく寒くて。CHEESE STANDをオープンしたらなかなかまとまって休みがとれないので、年末年始に海外でインプットの旅をするのが、それから恒例になっていきます。
僕自身、「インプットしたことでしかアウトプットは生まれない」という考えを持っているので、海外で刺激を受けて帰ってくるということは、20代の頃からずっとしてきたと思っています。
それは、スタッフに対しても同じように考えて、オープン当初からスタッフとともに研修旅行に行くようにもしていました。
8月には、製造チームのモハメッドさんと、店舗チームのまるちゃん、あいちゃんと岐阜県飛騨地方に1泊2日の研修旅行に行っています。高山市でチーズ製造を行うトリデンテの伊東さんと、今も夏になるとトマトを使わせてもらっている長九郎農園の松永宗憲さん(義理の弟でもあります)を訪ねています。
(トリデンテさんにて)
(長九郎農園さんにて)
扱っている食材の生産現場を見るのは、僕はとても重要だと思っています。現場にいくと、たとえばトマトはどんな場所で、どんなふうに実っているのか。店に届くだけではわからない、葉っぱの形だったり、育った場所の気候だったりは、そこにいかないとわからないと思うんです。
産地の景色から感じることも、水のきれいさ、土の色や香り、そういったものを感じとることは、言葉以上に伝わるもので、僕たちの感性を刺激してくれるものだとも思います。
そしてなにより、生産者さんが、どんな思いで作っているのかが直に伝わるの大事だと思っています。
2年目は、北海道の美瑛にも行ったり、精力的に動いた1年でしたね。
妻の千鶴が入りパワーアップ
妻の千鶴が、2014年2月から渋谷店のホールに入るようになりました。
結婚したのが2009年で、同じ飲食業に働いていて、中目黒の名店「カシーナ・カナミッラ」でレストラン・ソムリエとして活躍していました。僕がCHEESE STANDをオープンする際にも、一緒にやるかどうか話したこともあったのですが、「どうなるかわからないから、収入を得られる道を残しておこう」と、ソムリエの仕事を続けていました。
CHEESE STANDがオープンする前の2012年1月に、千鶴に脳腫瘍が発覚しすぐに手術を受けていました。その後、レストラン・ソムリエに復帰するのですが、なかなか手術前のようには働くことができず、辛そうにしていました。
それなら、ある程度時間を融通できる渋谷店に入ってもらったらいいんじゃないかという話をして入ってもらったんです。
長年レストランで働いていたサービスのプロでしたので、お店にとってはプラスになりました。《月曜から夜ふかし》で紹介されて急に忙しくなってもスタッフの力で乗り越えられたのは、千鶴が全体を見てくれたり、人材を育てていてくれたおかげだと思います。
レストラン・ソムリエを離れても、店のワインを選んだり、ワイン会をやったりと千鶴らしさをCHEESE STANDの力にしてくれました。
レストランでソムリエをしていると、とくにイタリア料理では、郷土料理に紐づけて、同じ地域のワインを選んだりするのですが、アメリカに一緒に行ったりすると、まったく関係のない食材の組み合わせに対してワインを選んでいったりするので「刺激的」と楽しんでくれていました。
(妻の千鶴がCHEESE STANDに)
奥渋谷の近隣のお店とのコラボイベントや、DIYしてテラス席を作ったり、植物を植えたりと、新しいことを自分たちで考えて、どんどん作っていった1年でした。毎日楽しかったし、会社を前に進めていこうということをすごく意識していやっていたと思います。
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