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テーマ文 note

1,000文字 30分


noteって場所はとてもよく出来ている場所だよな。
なぜならここでは行動しない限り存在できないんだから。

文章を書くというのは最も行動らしい行動じゃないか?
人間も猫も何も考えなくたってため息も欠伸もするが、文章は何も考えないで生み出すというわけにはいかないように思えるんだがね。ね?

それは紙にペンで書こうと、ブログにキーボードで書こうと、砂に指で書こうと、行動しないで現れることが在り得ないものだ。そうである。

誰かが文章を書きたいと思い、そしてそれを決められた文字規格や通信プロトコルの範疇で表現をし、ガイド通りに案内をされ、note社のサーバーに格納される。
そしてそれは求められれば、もしくはおすすめとして、他のnoteユーザーの元へと届けられる。決して、これは自明の現象ではない。

本だってそうであろう。right? 誰かが望んだからそこにある。本棚に置きたいと望んだから、書きたいと望んだから、読みたいと、書いてもらいたいと望んだからここに、ある。

私にとって、文章が素晴らしいものだと感ぜられるのは、望まれないものは存在しない。できない。シテハナラヌ。その法則が適用されるのが、そう、文章にしかないからなのだと。

片や、この世界はそうではないよな?
いくらここに存在する理由を探そうと、無意味と無理由に帰着させるしかないという、なんとまぁ素晴らしい解決法に満ち溢れている。
そのような世界で呼吸をし続けるためには水面に顔を鎮めるように呼吸したら死ぬような、そんな体験をして、いざとなればその気になれば俺はいつだって溺死できるんだぜってことをこの世界に忘れさせてはならない、みたいなつまらない遊びを繰り返す以外に娯楽なんてないだろう?

この世界では息ができない。文章の世界には息ができない。noteでは窒息する。
こんなに素晴らしい場所があるか、って言ってんだよ、俺は。

ここは誰かが書いたものしか存在しない。逆に考えりゃ、書かなければ存在しないことが許されているんだ。
何時だってどんな時だって、存在しか選べないこの自分とかいう存在に中指とクソを投げつけてやる、そんな時間がないと、自分で窒息を選べる場所がないと、こんな世界では息しかできず死んでしまうんだよ。

noteってのはそんな場所なんだ。俺はこの上を向いたら青い空が見える世界でいっぱい息を吸込んだら、必然しかない結局青い海で、水圧で潰されるまで深く潜ってみせるのさ。

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