CheeRuLe

(自分の余分な部分)

CheeRuLe

(自分の余分な部分)

最近の記事

「恋愛は孤独な営みなんですよ。」

「恋愛は孤独な営みなんですよ。」 違う、僕は君とそんな話はしていないはずだ。 「相手のことを知ろうとすればするほど、考えようとすればするほど、自分は相手ではない、相手には為れない、考えなんてしてる限り永遠に届かない、ということがはっきりとわかってしまうんです。」 君はこんなこと言わない。 「そんな簡単な事実を忘れて、相手がどう思ったのかとか嫌われたんじゃないかとか他に気になる人がいるんじゃないかとか考えるのって無意味じゃないですか。」 だって、 君は存在しているんだから。

    • 青い影のうつろい

      藤村青野。その名前を頭の中で繰り返すたび、まるで波紋が広がるように胸がざわめく。特別だと意識するようになったのは、いつからだろう。いや、そんなことを考える暇もないほど、彼女の存在は自然に心を占めていった。 *** 教室の喧騒の中でも、彼女の声だけが浮かび上がる。澄んだ音色のように耳に届き、気づけばその声の行方を追っている。けれど、目が合うことはない。こちらが意識していると知られるのが怖い。いや、それ以上に、自分がそんな気持ちを抱いていることを認めるのが怖いのかもしれない。

      • 書け

        文章を書くコツがある。それを見つけた。 書け。書くことだけだ。なにも思いつかなくても書け。くだらないことを書いて嫌になっても書け。書くことがなくても書け。書きたくなくても書け。書く場合じゃあなくても書け。すべてを出すことだ。書くことだけが文章を書くコツだ。 最近書いていなかった。書いていなかったから、書かなくても生きていけると思っていた。書かなくても生きていけるようになったと思い込んでしまっていた。 違う。書かないことで頭がオカシくなってたんだ。疲れてるときは疲れている

        • というのも恋の歌

          ヨルシカって恋の歌だったんだ、って気づいた。つい最近。 恋の話しなんて巷にあふれかえってて、いまさら語ろうにもコトバになってないことの方が少ない状況。言語以外盲目な自分はちまたのソレについて知り尽くしてると思っていたんだ。 だから語ることなんてないと思っていた。だってあるじゃん、アレとかコレとか。あふれあふれることばの恋。半端にコトバなことのほうが解りにくいんだ、なんてのも最近の気づきの言い換えなんだっけ。 ヨルシカがずっと好きでずっと聴いていた。自分の歌だと思ってたし、そ

        マガジン

        • 自分でよく書けたと思ってるやつ
          22本
        • 大好き!
          57本

        記事

          僕は恥ずかしい

          おしらせ。明日文フリです。しばらく書いてなかったのは季節の変わり目で気分が悪いから。冬は嫌いだ。よかったら来てね。ブース見に行くからずっといるってわけじゃないけど連絡くれたらその時間帯は待ってます。 別にこれといって書きたいことがあるわけではないけど。なんとなく今日は書きたくなったな。書きたいことがないことと、書きたくなることには相関がない。書くほどのことでもなくても指先から文字になりたがっているかも知れない。ぼくはずっと書くことについてばかり考えている。書くときは書くこと

          僕は恥ずかしい

          冷熱

          ようやく…語れない。 俺は何も語れない。 これを誰がいつ読むことになるのかもわからない。 でもきっと、向けて書く相手がいるという時点で前代未聞の事態であることは間違いがない。 書くということは、そして近いうちに見られるということになるだろう、確実に。 見られたくない。僕は臆病なんだ。見せている部分は見せられるところだけだ。見せられない部分は見せられないから見れないんだ。隠しごとがある自分を恥じる夜もあったよ。俺は誰にも見せない。見せれない。言えない。書けない。わからない。誰

          やさしくなれたなら かぼちゃの揚げ物になれたら

          ネクライトーキーの好きな歌詞まとめです 夜になれば酷くなるもんだ 早く寝たいが課題があんだ 時間が足りないなんて呟く 虚しい言い訳だったな そろそろ疲れたな 無理矢理笑って過ごすことも そろそろバレるかな 友達にはなれないことも 明日にだって 明日があって お金もない、努力もしない 二十五を過ぎたら死ぬしかない 「想像上ではできた」 それの半分もできないまま 大丈夫、少しは心配だけど アラームの通り朝を迎えられたのならば もはや上出来ってもんでしょう とうとう最

          やさしくなれたなら かぼちゃの揚げ物になれたら

          毎日のアレ

          全然アレできてないけど、それでも書きたいときは書くどうも僕です。今日みたいにね。 ずっと書きたいことがあったんだけど、それはあまりにもすぐ書くにはセンシティブすぎて、熱すぎて、きっと処理しきれないことが溢れるみたいになってたから書くよりも寝ることを選択した。今だって絶対早く寝たほうがいいのに寝ない。寝れない?コーヒーが入ったカップを洗った手を舐めたら効きました。助けてください。有意にフケが出たし目も渇いて痛いしちょっと読書が止まりませんでした。気を付けることが多すぎる。コー

          毎日のアレ

          ワークにアンチな読書会の報告会を。

          自分が所属する文芸部で読書会をやったので報告です。 題材として選んだ本はこちら、『14歳からのアンチワーク哲学』です。なんと著者であるホモ・ネーモさんから3冊もご提供いただきました! 事前に現物の本が手に取れる場所に置いてあったこと、そしてさらに全文が無料公開されていたことで事前の共有がしやすくて、読むことへのハードルが下がり興味を持ってくれる人が増えた気がします。 その結果、読書会自体は過去最高の盛り上がりでした。 今年度から文芸部の活動として週一回程度の読書会を開催

          ワークにアンチな読書会の報告会を。

          #Notice

          死なないと明日に行けない 優しさって余裕だ 受動的な読書があり得るものか 人間は時間を認識できない 読めた本だけがいい本だ ブロック 逆フォロー 情報は集積しないと意味がない 集積? 目が疲れてくると死にたくなる 図書館は本のバイキングでアトラクションでレストルーム 残してもいい できれば耳栓なんか使いたくない 眠ってる間は物を食べずにすむ 持ち歩くほど本とのキズナがアップ! そうしてちゃんと一日寝込んだ 到着予定時刻付近にはアラーム設定推奨 社会

          【出店情報】文学フリマ福岡10 【日時】10/27(日) 11:00~16:00 【ブース】E-30

          【出店情報】文学フリマ福岡10 【日時】10/27(日) 11:00~16:00 【ブース】E-30

          たとえば幸せ、

          幸せなことはいいことなのか。 いい、という言葉はいい。どこがいいって、限りなく部分的だからだ。ことばや概念の任意の場所について、いい/よくないを定めることに障りがないからだ。 幸せという言葉について考えてみよう。大きなふくろだ。風船みたいに浮かんでいる。自分の体のちょうど真ん前をふわふわ浮かんでいる。白い風船。きっとゴムでできてるけど、あの変なにおいはしない。やわらかい素材にはやわらかい空気がつまっていて、抱きしめたって、固くなったりはしない。ぎゅうっとする。これが幸せだ

          たとえば幸せ、

          なんで紙の本を刷ったのかって?

          知り合った即売会戦士に勧められたので紙に印刷するつもりで詩を書いてそれを詩集にした。 期日どうこう締め切りやいの言われながら守れなかったり守らなかったりしながら過ごした日々を少しづつことばにし、たまに取り出しては眺めたり磨いたりしてこの小冊子を作った。 それまではメモアプリ・エディター・Wordの中にしかなかった僕のことばが紙になっていた。自分で自分の書いたことばを改めて眺めるなんてことはもちろんやりたくないけれど、それでもそれは枕元に置いてある。 最初は「働きたくない

          なんで紙の本を刷ったのかって?

          カフェインの香り

          部室にコーヒーミルと湯沸かしポットが設置されてた。そしてコーヒーの香りだけで酔った、ってわけ。 そしてこれから夜通し歩き続け、しまいにゃ山に登るのさ。

          カフェインの香り

          thema

          テーマを決めて文章を書くことができないという話しをしようと思う。 自分の書く文章はタイトルがテーマを表してないことが多いと思う。なぜなら書いているうちに考えていることを書いてしまうから。 初めは書きたいと思っていたことをタイトルに据える。今日か、その前の日か、考えていて固まったものを書いていく。そのテーマが長く考えていたものだったらそれを全部詰め込もうとしちゃうし、ポッと思いついた軽いテーマだったら別のテーマも混ぜてごちゃごちゃの殻入りチャーハンみたいな感じになることもあ

          意味のある一日

          最近はペースが崩れていた。こんなことを書くのがもう5日目というのもかなりそれに拍車をかけている。気づいたらもう一日と一日と一日と一日と一日が過ぎてしまったということだ。しかも書くこと自体が久しぶりなせいで明らかに昔なら適切に保てたような距離感をはずしてしまった。まぁ、しかたないとしておく。消さない。こうやって間違えながら進んでいく様はさながらあの頃のようで楽しくもある。まだ書ける場所があったノートみたいだ。消さなくてもいい。反省すべきところがあるだけだ。しばらく離れてた場所に

          意味のある一日